研究助成プログラム
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財団開催イベント
情報掲載日:2022年4月5日
座談会「つながりがデザインする未来の社会システム―ニューノーマル時代に再考する社会課題と新しい連帯に向けて―」を考える
トヨタ財団の研究助成プログラムは、2021年度に助成プログラムのテーマを「つながりがデザインする未来の社会システム―ニューノーマル時代に再考する社会課題と新しい連帯に向けて―」へと刷新しました。初年度の助成開始から約半年が過ぎた2022年3月10日、選考委員長と3組の助成プロジェクト代表者の方々をお招きして、オンライン座談会を開きました。それぞれの研究プロジェクトや関心事から、本助成プログラムのテーマについて議論していただきました。
座談会登壇者紹介
※敬称略
中西寬(なかにし ひろし)
京都大学大学院法学研究科教授、専門は国際政治学。2021年よりトヨタ財団研究助成プログラム選考委員長。著書に第4回読売・吉野作造賞受賞の『国際政治とは何か-地球社会における人間と秩序』(中公新書2003)、『高坂正堯と戦後日本』(共編著、中央公論新社2016)など。
天畠大輔(てんばた だいすけ)
助成プロジェクト:「24時間介助が必要な重度身体障がい者の就労にむけた実現戦略―介助付き就労を阻む社会システムの合理性を運動論から問いなおす」(D21-R-0042)1996年救急搬送された病院での医療事故により「発話困難な重度身体障がい者」となる。2017年「(株)Dai-job high」設立。2020年「一般社団法人わをん」設立、代表理事就任。2022年より立命館大学専門研究員。著書に『しゃべれない生き方とは何か』(生活書院2022)など。
天畠さんチームの紹介
天畠さんが代表理事をつとめる「一般社団法人わをん」から事務局の嶋田拓郎さん、北地智子さん、斎藤直子さん、岩岡美咲さんを合わせた5名が参加してくださいました。なお、ご自身による発話が困難なことから、天畠さんの発言は斎藤さんによる「あかさたな話法」を用いた介助通訳を介しています。
鈴木研悟(すずき けんご)
助成プロジェクト:「ゲーミングを活用する持続可能な将来ビジョン共創の提案―ミニ・スマートアース構想を題材として」(D21-R-0061)筑波大学にて博士(工学)取得。日本エネルギー経済研究所、北海道大学工学研究院を経て、現在筑波大学システム情報系助教。シミュレーション&ゲーミングを活用するエネルギーシステム評価とエネルギー教育を推進中。
佐藤理恵(さとう りえ)
助成プロジェクト「コロナ禍での交流減・政治不信により深刻化した若者の政治離れ解消のためのDX活用による市民参加型地方自治プロセスの研究」(D21-R-0097)神奈川県立保健福祉大学保健福祉学部看護学科卒業、慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科医療マネジメント専修修了(公衆衛生学修士)。総合病院での看護師としての勤務、介護事業のサービス提供責任者を経て、2019年よりissue+designに参画。
1)プログラムの趣旨説明とプロジェクトのご紹介
財団 はじめに財団から、「つながりがデザインする未来の社会システム―ニューノーマル時代に再考する社会課題と新しい連帯に向けて―」という新しい助成プログラムのテーマが作られた経緯や、財団の思いについてご紹介したいと思います。
私たちは2020年度の研究助成プログラムをお休みし、約1年かけて新しい助成テーマを検討しました。その間に、まったく予期していなかったことですが、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックが発生し、あっという間に「日常」が変わってしまいました。外出はもちろん、人と人との接触が大幅に制限され、私たちはこれまでに想像もしなかった「分断」を経験してきました。他方でいまこそ連携し、協力しようという動きも多くみられました。
もちろん、COVID-19が提起した問題は、人と人とのかかわりだけではないと思います。これまでの社会システムや自然環境とのかかわりを、根本から問い直そうとする動きも活発化しています。人間を地球の一住民として、ウイルスを含めた共生、With Coronaの在り方が問われていると言えるかもしれません。本助成プログラムは、こうした問題意識をもとに構想したものです。
本日登壇していただく皆さんは、研究プロジェクトの内容もバックグラウンドもさまざまですが、助成プログラムのテーマをどのように受けとり応募されたのか。「つながり」といったキーワードをどう捉え、プロジェクトを通じて、何を、またはどのような社会を実現したいと考えていらっしゃるのでしょうか。今日はそれらをお話していただき、新テーマについて一緒に考えていきたいと思います。このプログラムは始まったばかりで、皆さんと共に育てていきたいと思っています。本日はよろしくお願いいたします。
それでは、まずは皆さんの研究プロジェクト概要をお聞かせ願えますか?
鈴木 平たく言うと、世界の持続可能性をテーマにしたゲームをデザインして 、みんなで集まってプレーをすることで、この世界の有り様について理解を深め、共有するとともに、これから私たちは何をしたらいいのかを探索しています。
なぜゲームかと言えば、ゲームはこの世界のモデルだと考えるからです。例えば、将棋やチェスは戦争のモデルだと言えます。戦場や戦況は外から観察した客観的なもので、対局者が相手の手を見て自分の手を考えるのは、当事者として経験するものと言え、ゲームの世界は客観的な側面と主観的な側面とを同時にモデル化できます 。
いま、人間の活動が気候や生態系を不安定にして、それによって人間の世界も不安定になっていますが、この世界の状態を知るためには、客観的な視点と主観的な視点の両方が必要です。例えばCO2の排出量が増えて気温が上がるとか、気候変動によって生き物の多様性が失われるといったことは、客観的に観察される現象です。一方で、国際的な協力が進まないとか、エネルギー価格が上昇するといった現象は、客観的に観測できる事象をマーケット参加者や国の意思決定者が認知して行動した結果によるものです。つまり、当事者の視点(主観)を取り入れて初めて、その動きが分かるのです。
そこで、ゲームを使うことによって、なぜ世界が不安定であるのかを解き明かせないだろうかと考えました。これが今回の研究としての問いになります。私は工学系ですが、農学や教育、哲学の先生、デザインを勉強した大学OBなど、いろんな人が参画してゲームを作っています。現在はまだデザインの段階ですが、我々自身がまずこの世界を表現できるメディアを作り、それをいろんなところに持っていって、ゲームのルールとかプレー経験を踏まえたディスカッションをしていきます。これは一種の新しい形態のヒアリングだと思っています。まずは、持続可能な世界のビジョンを示す前段階として、私たち自身がこの世界の状態や動きをどのように理解しているのかという、「世界観」を示すことが重要だと考えています。この「世界観」を表現するメディアがゲームであり、助成期間の2年で最終的な形にまで持っていけたらいいなと思っています。
財団 ありがとうございます。それでは、次は天畠さんお願いします。
嶋田 一般社団法人わをんの嶋田から、天畠大輔チームのプロジェクト概要をご説明します。私たちは介助付き就労をテーマに、2年間で研究と調査分析、そして政策提言までを行うことを目標にしています。これまでは、重度身体障がい者が介助者を伴って職場で働くことに大きなハードルがありました。しかし、この半年間のインタビュー調査で、コロナ禍で在宅就労が普及したことにより、重度身体障がい者も働くことができるのではという期待と、いやまだまだ障壁があるという両面のあることが分かりました。
また、この半世紀、重度身体障がい者の方たちが当事者として障がい者運動を起こし、日本の障がい者福祉制度を作ってきた歴史がありますから、社会運動研究史について先行して調査を行ってきました。今月刊行されるハンドブック『なにそれ!?介助付き就労』に、就労制度の歴史とともに調査結果をまとめています。このハンドブックの狙いは、介助付き就労の実態を広く知ってもらうことで、当事者の方に働きたいと思ってもらうだけでなく、支援者の方にも「こんな選択肢もある」ということを知ってもらうことにあります。助成期間の早い段階でハンドブックが作成できたので、次のフェーズでは、イベントなどの活動に結びつけていきたいです。
また、働くことにまつわるアンケートを行い、24時間介助が必要な人だけでなく、トイレだけ介助が必要だったり、少しだけお手伝いが必要だという人など、介助付き就労には幅広いニーズがあることも分かりました。介助があることで安心して働くことができ、キャリア展開できるという重要なデータです。今後は、この問題についても大規模な質的・量的調査を行う予定です。こうした声が政策を変えていく大きな力になるので、それを適切に届けるための方法も同時に考えていきたいです。
天畠 障がい者運動の調査結果から見えてきたこととして、バックラッシュというのがあります。新しい権利を障がい者が獲得する中で、制度や財政的な面で優遇され過ぎだという声が上がったのです。これは活動を担ってきた先人たちへのインタビュー調査で分かりました。今後も新しい介助付き就労を導入したり、制度を変えていくときに、バックラッシュは起こるかもしれません。それをどう捉えていくのかが一つの課題だと考えています。
財団 それでは、続いて佐藤さんお願いできますか?
佐藤 私たちは、ミライ+コロナというプロジェクトチームで活動しています。新型コロナウイルス感染症拡大が起き、初めて緊急事態宣言が出た時に立ち上げました。当時はオンライン会議もあまり普及しておらず、仕事がストップしてしまい、自粛要請で外にも出られないという状況で、今後に対する不安の声が私たちのもとに多く寄せられていました。しかし、そのような中でもコロナ禍だからこそ生まれるサービスや新しい価値観があり、そういった社会変化の兆しに目を向けることで、少し前向きに未来を考えられたらいいな、仲間ができたらいいなという思いで活動をスタートさせました。ミライ+コロナの母体となっている運営団体は、issue+designというところです。こちらはもともと、地域の課題解決にデザインの力で挑むことを目的に活動しているNPO団体です。
中西先生の前で政治の話をするのはとても緊張しますが、地域活動をしていく中で、まちをよくするためには、地方自治との関係を切り離せないと感じてきました。しかし、地域活動には積極的に関わっていても、政治に関心がない、よく分からないという人も多くいらっしゃいます。若い世代の中には、投票しても数の力でかなわないという思いから選挙や政治と距離を持つ人もいます。パンデミックに際しても、政治に対する不信感が日本は世界と比べて強いことが分かっています。
海外では政策についてオンラインでフラットに議論したり、住民から行政に提案したりといった、デジタル上のプラットフォームがさまざまに構築されているそうです。そこでは、気候危機への対策といった地球規模の問題についても住民発信で活動が進んでいて、とても刺激的です。日本でも同様の試みはありますが、もともと政治に関心がある方には届いても、そこから先に届くようにするには、もう一工夫が必要だと思っています。そこで私たちは、地域をよくしたいと考える住民の方が、主体的にかかわる場を作ることを目指しています。家から出るのが難しいとか、時間がないという方にも参画しやすくするためには、DXが有用ではないかと考えました。全国各地にまち作りや人材育成に携わっているパートナーがいますので、その方たちとどのように地方自治に参画しやすい仕組みを導入していくのか、また、どうしたら社会に広がっていくのかを考えていきたいです。
2)応募のきっかけ~それぞれの社会課題と新しい連帯に向けて
財団 ではここからは、皆さんがどのような思いを持って本プログラムに応募されたのかなど、自由にお話しいただきたいと思います。
鈴木 私はもともと特定の分野の専門家になることに違和感がありました。例えば、私の専門の工学は、機械工学、電気工学、建築工学などに分かれ、機械工学の中でも流体工学や熱工学などがあり、そこからさらに細分化されていきます。どれかの専門家にならないと最先端の研究ができないのですが、それでいいのだろうかと感じていました。
例えばエネルギー問題を知ろうと思うと、力学的な知識だけではだめで、工学の外にある社会科学の知見もなければ、なぜエネルギー供給がうまくいってないのかには答えられませんよね。複雑な世界を、複雑なまま扱うことができないかなとずっと考えていました。それが研究にゲームを取り入れた動機だったわけです。
今回の応募のきっかけは、私の所属する筑波大学の別の部門で、地球の持続可能性を考えるプロジェクトに取り組んでいる研究チームがあって、私のところにも声をかけてもらったことです。お話を聞いて、じゃあ一緒にゲームを作りましょうということになりました。ひとりで複雑な世界をモデル化するのは難しいので、他分野の研究者と取り組めるのはすごく嬉しいですし、研究助成プログラムに採択していただき非常にありがたいというのが率直な感想です。
このチームはもともと、科学技術振興機構(JST)のムーンショット型研究開発事業の目標検討に参加していて、長期的な社会ビジョン構築に向けた調査研究を行っていました。しかし、チームで議論をしていく中で、将来こうすべきだということよりも、そこへ向かう議論の土台を作る方が大事なのではないかに焦点が移ってきています。
コロナの影響という観点から言えば、人が集まってゲームをするのが難しい状況が続いているので、やりづらいところがあります。もともと人が集まってやっていたゲームを、Zoom越しにオンラインでやるのでは違いがありますよね。
中西 ゲームといっても、イメージするものは人によって異なると思います。鈴木さんが取り組んでらっしゃるのは、どのようなゲームでしょうか?もう一つは、オンライン上でのバーチャルなコミュニケーションと、対面でのコミュニケーションやつながりについて、ご専門の観点から両者はどこが違うのかをお聞かせ願えますか。
鈴木 ここでいうゲームとは、みんなが紙やサイコロを使ってテーブルを囲んでするものを想定しています。そういったボードゲームをネット上でする試みはありますが、同じ体験にはなりませんよね。人間が相対(あいたい)で経験していることと、バーチャルはまったく違うはずです。その理由を、私もずっと考えてきました。あくまでも考察になりますが、例えば、我々がいま同じ会議室にいたとしたら、五感を使って空間を認識します。目で見たり、耳で聞いたり、風を感じたり、環境の要素を全部含みますし、そもそも取ってくる情報には個人差があって、情報のどこに着目するのか、例えば会議室のどこを見ているのかなどは、人によって異なるものです。
ところがバーチャルになると、いまもそうですが、Zoomのぺらっとした画面、これ以上の情報は視覚から入ってこないし、聴覚から入ってくるのは、両耳からくるステレオのサウンドだけですよね。それ以外のもの、おそらく部屋の温度などはそれぞれ違うはずですが、それらは共有されません。つまり、バーチャルだと情報の質がまったく違うのです。
最近ではメタバースと呼ばれる高性能なバーチャル空間を使うオンラインゲームもあるようですが、私はそれがリアルに近づくとは思っていません。あくまでも誰かの作った主観的な世界を経験するに過ぎないからです。それと同じで、人がその場に集まってボードゲームをすることを、オンラインで再現することはできないと思っています。
中西 とてもよくわかりました。
佐藤 私たちもちょうど気候危機に関するゲームを作っています。気候変動の現状がどうなっていて、このままの状態が続くと地球はどうなるか、私たちには何ができるかなどを学ぶゲームです。もともとカードゲームだったものを、オンラインにしているのですが、やっぱり対面式とオンラインは別物だと考えた方がいいし、それぞれに異なる良さがあると思います。
例えば、一緒にみんなで達成した、協働した仲間なんだという連帯の感覚は、やはり同じ空気の中でミッションに取り組まないと得られない感覚だと思います。オンライン上のオープンスペースでは、複数人でゲームをしてミッションを達成しても、それは個人的な経験になってしまう。そのため、次に実際の行動に移していけるような連帯感を得ることは、なかなか難しいと感じています。
鈴木 それに、オンラインゲームはエネルギーを消費するのでサステイナブルではありませんよね(笑)。エネルギーの専門家としては、省エネのボードゲームをお勧めします。
ただ、オンラインだと人間同士の交流が起きないかというと、そうでもないと思います。大人数が参加するオンラインゲームを熱心にやっている人たちは、チームを作って楽しそうですし、そこで出会った人と結婚までした友人もいます。情報が欠けているからこそ成立するコミュニケーションも、ひょっとしたらあるのかもしれないと想像します。
また、コロナ禍で対面授業ができない時、ブラウザゲームをしてディスカッションをする授業を試してみたんですね。確かに、オンラインだとコミュニケーションのパスは細いです。でも、全員がPCなり端末に向かっている状態なので、教室でやるのは難しいゲームでもできてしまうんです。ゲーム結果をリアルタイムで画面に配信することもできますし、普段だったら学生は手を挙げて質問してくれませんが、匿名のオンライン掲示板にはいろいろ書き込んでくれて、それに私がリアルタイムでコメントすることもできました。つまり、教室でやろうとすると大変ですが、端末を使ったオンラインだと、ゲームをするだけでなく、振り返りまで含めた授業ができて、新しい可能性を感じるものでした。
天畠 Zoomが広く普及したことで、コミュニケーションの方法が大きく変わったと思います。ただ、コミュニケーションの量は増えたかもしれないけれど、その質は下がったと感じていました。鈴木さんのお話を伺い、質が下がったのは解釈の多様性が損なわれたからだと腑に落ちました。
コロナ禍でテレワークが普及したことは、重度身体障がい者が働くうえで大変大きな追い風になっています。テレワークであれば働ける可能性が広がったのは確かです。しかし、「在宅で仕事すればいいよね」となってしまうと、職場で健常者の人と直接交流をして、そこで合理的な配慮について一緒に考えたり、配慮を受けながら働いたり、ということができなくなります。つまり、ビジネスチャット等によって、テレワークでも同僚とのコミュニケーションの量は増えた一方、テキスト情報以外で分かることが減り、結果的に解釈の幅が狭まったのではないかということです。
財団 みなさんのお話から、オンライン化がもたらすコミュニケーション変容の只中にあること、また、それぞれにプラスとマイナスの面があることが少しずつ分かってきました。では、佐藤さんはどんな応募動機があったんですか?
佐藤 私たちのプロジェクトは、気候危機への取り組みを端緒にしています。日本では、気候危機に関するアクションといえば、節水や節電など個人でできる範囲の提案が多く、温室効果ガスを「少し」ではなくて「半減」させる、といった確実な手立てに結びつく情報が得にくい状況にあると思っています。しかし、世界に目を向けると、バルセロナ・コモンズのように政党を作って活動を進めたり、気候市民会議を開催して実際に提言をしたりといった活動が盛んです。そうした国や地域では、投票権を得る年齢になる前から政治活動に触れるなど、日常から政治との関わりが密接であることも多く、環境の違う日本で何が可能か?を考えながら、地方自治に参画しやすい仕組みを構築していく必要があると思います。
応募を検討した背景についても話したいと思います。まず、ゲーム一つをとっても、事業に着手して、プログラムを開発して、リリースして、投資した資金を回収する…と長い歳月のかかることが多いです。また、困っている方を対象にしたサービスが多いので、サービス利用者から直接収益を得ることは難しい場合も多く、事業の発展を見据えた事前調査に資金を回すことがままなりません。他の助成金もいろいろ検討しましたが、研究計画が最後まで確定している必要があったり、実証実験の場が整っている必要があったりしました。そんな中で、トヨタ財団の助成プログラムは調査の段階から支援してもらえる点がとてもよかったです。また、私たちの事業は活動しながら軌道修正していくことが多いので、トヨタ財団の場合は目的の達成に必要な計画変更に柔軟に対応していただけるところも非常に心強いです。
中西 研究者にとっては科研費が最も身近な助成だと思いますが、選考の際に、科研費にはぴったりでも実践性がないものについては、あまり評価していません。選考の方針も手探りではありますが、純粋な研究者が研究のためにやるようなプロジェクトは、この助成プログラムの趣旨から外れます。もちろん成果を学術論文などの形にしてもらうことは構いませんが、学術的研究でなくても、社会にいい意味でのインパクトがある研究は積極的に評価して、助成しようと思っています。佐藤さんの事例は、今後応募される方にとってよい参考になると思います。
また、政治学者として佐藤さんの発言に関連してコメントします。日本で政治と一般の人との距離が非常に離れているのは、私も問題だと思っています。この中で私が一番年をとっているので、昭和の時代を思い返してみますと、職場が一つの鍵でした。企業として政権与党に、あるいは労働者として野党にと、職場から政治につながるルートがあったんですね。外の空間である職場と、プライベートな空間である家庭は区分されていて、職場と政治はそれなりに安定してつながっていました。ところが平成から令和にかけて、どんどんそのつながりが崩れていった。職場から政治のつながりが薄くなった一方で、家庭から政治につながる新しいチャネルも生まれなかった。これは日本の一つの特徴であり、問題だと思います。
これまでのお話にあったように、対面(face to face)には五感全体を使って、空気感やさまざまなノイズも含めた情報を総合してコミュニケーションをとる側面があります。日本人はそこに非常に感覚が鋭いといいますか、大事にする文化を持っている気がします。その意味で、職場の具体的な人のつながりが社会生活の単位であることは、ある種の安定性をもたらしたと思います。しかし、いまはコミュニケーションのあり方が多様になっていて、かつての職場にあったような濃密なコミュニケーションがなかなか生まれない。だから先ほど佐藤さんがおっしゃっていたコモンズという考え方などは、日本では簡単には受け入れられないかもしれません。日本の場合、繊細なコミュニケーション能力と、新しいつながりをどう作るかという課題の間にトレードオフがあるからです。そこが政治に限らず、コミュニケーションなどの日本社会の問題点と言いますか、難しさではないかと思います。いかがでしょうか?
佐藤 コミュニティの築き方がどんどん変わってきていると、まさに感じていました。職場以外でつながる若者が多くなっているので、これからどうやってコミュニティを作っていくのかが課題だと思っています。一方で、政治に関しては特別なものだと考えている人も多いのではないでしょうか。政治は独立しているべきで、何かに絡んではいけないといったものです。「職場とのつながり」と聞くと、時代の変化なのかもしれませんが、平成の人間としては圧力として捉えられてしまうことも多いように思います。
ただ、そうした中で、どうやってつながっていくのかを考えたとき、政治に関心を持ってもらうとか、投票率を上げるといった直接的なことだけではないのだと思います。選挙にかかわることだけでなく、住民としてまち作りに参画するのも政治参加だと思います。自分だったらどんなかかわり方ができて、地域をよりよくするために何ができるのか、それを考えてくれる実践者が1人でも増えたらいいなと思って活動しています。
鈴木 少し視点が変わりますが、政治は本来、世界の全体像を把握していないと難しいはずです。特に、国政の選挙では国の全体像に関するマニフェストが示されて、我々はそれを読んで、理解した上で自分の考え方を一票に託すようにできています。ただ、それって本当にできますか?いろんなことを見なかったことにしないと生きていけない、というのがあるのではないでしょうか。
「ニューノーマル時代の社会課題」という本日のテーマにも通じると思いますが、それについて自分なりに考えてみると、「ニューノーマル」とは、潜在的にリスクがあると言われていたものが実際に起こり、対応に迫られることだと思います。つまり、「起きたから対処している」のであって、コロナにしても、いま起きている戦争にしても、10年前の原子力発電所の事故にしても、専門家は可能性があるとずっと言っていました。
リスクを無視したと責めているわけではありません。「なぜそれを見なかったことにしないと、私たちは生きていけないのか」を考える必要があると思います。そこには、客体としての世界が私たちの脳のキャパシティを超えて複雑になっていること、そして私たち自身が限りある能力で世界を認識しても、それを他の人と共有するのが難しい、という2段階の難しさがあります。また、先ほど申し上げたように、専門外のことを見なかったことにして、何かの専門家にならないと飯が食えないという事情もあったりします。全体が見えないので「政治なんてよく分からない」となるのだと思います。
先ほど佐藤さんから気候変動の話がありましたが、小さな取り組みを積み上げていっても、大きな問題は解決されない、というのは非常に共感するところです。ローカルな話ではなくて、もうちょっと大きな範囲のゲームを作ろうと考えたのも、そうしたことからです。
ローカルな持続可能性をテーマにしたゲームは、実はこの10年ぐらいでかなり増えています。ただ、それらはあくまでローカルな最適解を示すもので、特定の地域はそれでよくても、他の地域には負担をまき散らしているかもしれないわけです。世界全体を成している根本とは何かを、本気で考えてみたいというのが研究のモチベーションです。
中西 世界の全体像がわからないと政治に関与しづらいという鈴木さんのお話は、日本人らしい真面目なお考えのように感じます。おそらく20世紀的な「民主主義」や「国家」として政治をイメージする場合にはそのような面があり、すべてを見ないと重要な意思決定ができない感覚があると思います。しかし、いまの世界はもう少しミクロになっていて、自分の観点しか見ないからこそ、政治に参加する人が影響力を強くしている。それが例えばアメリカの場合は政治の分断につながっていて、政治全体を行き詰まらせています。日本がそのようになってないのは、政治はこうあるべきというイメージを持つ人が多く、他の先進国に比べてある種の政治的安定が維持できているからではないでしょうか。
しかしこれは善し悪しですね。日本が多くの社会課題を抱えていることに間違いはないので、全体的な解が見つからないと行動に移していけないとなると、非常に大変なことになります。世界の多くでは試行錯誤的にやっていて、失敗もあるけれども、そこからむしろミクロなつながりで変化が生まれています。アメリカも分断はしているものの、そこから新しいものに向かっているのかもしれません。その意味で、以前とは政治を作り出すつながり方が違ってきているのかなという印象です。
鈴木 そうですね。私も世界の全体像を分かっていないと、実際に投票ができないとまでは考えていません。ただその前段階として、この世界をどう認識するかというモデル、すなわち「世界観」を作ること自体が難しくなっているのではないかと考えています。
いまの話で言うと、アメリカで分断が起きているのは、ある意味偏ったモデル、ローカルな「世界観」が共有されているからだと思います。「あいつが悪くて俺たちは正義だ」というモデルが共有されると、みんな選挙には行くけれども、政治は安定しないという不幸なことが起きる。翻っていまの日本は、そうしたモデルが共有されづらく、そもそもモデルすらないのかもしれません。先ほど中西先生がおっしゃっていた、職場が政治の一部分を担っていたというのは、おそらくある種のモデルが職場を通じて共有されていたということと考えられます。ローカルな偏りのないモデルなり「世界観」なりを、どうすればいまの時代に共有できるかが問われていると思います
財団 鈴木さんが「世界」という全体から「つながり」を考えることを大切にしていることが感じられます。天畠さんチームは、また違った角度から「つながり」の問題に取り組んでいますが、どのような思いで本助成に応募されたのでしょうか。
天畠 私たちは、何らかの障がいがある方たちに、どのような社会生活を送っているのかを語ってもらい、それをWebメディアで発信するという、当事者の語りプロジェクトをもともと行ってきました。そこで得た語りから、とりわけ介助付き就労の課題を深める必要性を感じ、今回のプロジェクトを立ち上げました。
例えば、24時間介助を利用して一人暮らしをされている方が多数いらっしゃいます。その方たちは、地域のなかで生活することを目標に、施設や家族と多くの交渉の末にやっと一人暮らしを実現させています。でも、今度は介助者と過ごす日中の時間に、いったい何をしたらいいのだろうとなる、そんな実態のあることが分かりました。将来への不安の増大に加えて、もともと持病をお持ちの方も多く、コロナ禍で健常の方よりも外出がさらに制限されたために、日中の過ごし方が切実な問題となりました。
一方で、2020年10月から厚労省による「雇用施策との連携による重度障害者等就労支援特別事業」が始まりました。介助を使って就労することは、いまも制度上はできません。しかし、特別なルールを自治体が整備すれば、実質的には認められるようになりました。ただ、事務手続きが非常に煩雑で、昨年11月時点で整備している市町村は、全国で9つだけです。当事者自身が「自分はこのように働きたいから、この制度を作ってほしい」と自治体に交渉するところから始めなければならないのが現状で、天畠の在住している武蔵野市でも交渉を続けていますが、3年はかかると言われています。今日は北九州市にお住まいで、チームメンバーの岩岡さんも参加しています。北九州市は必要な制度を備えていて、岩岡さん自身がその制度を利用していますので、その辺りのお話を聞かせてください。
岩岡 実は私は、まだ天畠さんと直接お会いしたことはありません。Zoomが当たり前になったからこそ、つながってできた関係だといえます。
私は働きたいと考えることはありましたが、就労に介助者が使えないことから、悶々としていました。そんなときに、この就労支援特別事業を厚労省が始めるという発表があり、地元の市議会議員さんに「私も大学を卒業したら働きたい」と相談しました。私も政治に興味があったわけではないのですが、議員さんに相談してみたことが大きかったと思います。北九州市や地元の役所は大変理解があり、スムーズに制度を取り入れてもらえたので、とても感謝しています。また、雇ってくれた企業の方たちにも、この支援制度の必要性について一緒に考えてもらいながら、職場に取り入れてもらうことができました。
私は自分自身で在宅ワークを選び、今月からようやく介助者を付けたままアルバイトの形で勤務を始めることができました。ただ、自治体によってかなり差があるのは確かなので、たくさんの人に北九州市の事例や、私が働けたことを知っていただきたいです。
天畠 鈴木さんから「障がい者支援における技術的なアプローチと、人間同士の対話に焦点を合わせたご自身の研究との役割分担をどのように考えていますか」という質問を事前にいただきました。まず、医学モデルと社会モデルの説明をさせてください。私は医学的なアプローチも必要だと考えますが、一方で社会から疎外されてきた当事者が地域で生きていくために、多様な他者と関係を築くこと、そのためには自己変容だけでなく、他者や社会の側にある障害をなくしていく必要があると考えます。
障がい者は長らく医学モデル的なアプローチ対象とされ、当事者たちの考えにもそれが根付いています。社会モデルのアプローチがおざなりにされてきたと言えます。ですから私の研究は社会との接点など、社会モデルの視点から行っています。
また技術的アプローチについては、本当の意味でのユニバーサルデザインについて考えることがあります。私は約10年前に、外出に困難のある重度障がい者のSkype活用に関する論文を書きました。そこで分かったのは、支援者がすぐに操作できるサービス機器が望ましいということです。障がい者用に作られた複雑で見慣れない機器は、その操作を他者にゆだねざるを得ない障がい者にとって、非常に使い勝手が悪いのです。
ということで、いま申し上げた内容を盛り込んだ『しゃべれない生き方とは何か』という本が先月出版されています。天畠の博士論文をもとに、加筆修正したものになっていますので、よかったら手に取ってください(笑)。
鈴木 大変勉強になりました。工学の人間は、どうしても対象を客体として捉えることを己に課しているところがあるので、社会的なアプローチというものは我々の知らないところにあるんだろうなと思い、質問しました。しかし、そういったものが、そもそもないがしろにされてきたということが分かりました。お話を伺って、障がい者の方がこの世界をどのように捉えて行動されているかという、主体の重要性を改めて感じます。
中西 先ほど私から、職場と家庭を分けるのが昭和のモデルだったという話をしましたが、天畠さんはそうしたモデルとは異なる意味で仕事を捉えているように感じました。天畠さんの考えでは、就労とはどういう意味を持っていて、仕事をすることと生活をすることには、どのような線引きがあるのでしょうか?
――天畠さんの介助者から、天畠さんが「横塚晃一」「母よ!殺すな」のキーワードを出していることが伝えられ、それを受けてチームメンバーの嶋田さんが代わりに発言。
嶋田 1970年代の日本では、障がい児を殺した親の量刑を軽くしようという運動があったのですが、それに反対する運動を障がいの当事者がしたんですね。「青い芝の会」という日本の障がい者運動を率いてきた団体が「子どもを、障がい児を殺すな」と訴えたんです。その中心にいたのが横塚晃一という脳性麻痺の当事者の方でした。横塚さんは『母よ!殺すな』を執筆されていますが、「青い芝の会」の方々は親の愛を蹴り飛ばしてでも地域で生きていこうという精神で、家族や施設にがんじがらめにされている障がい者の生活を、地域で生きていくものにするために闘い、日本の障がい者運動の礎を作ったんです。
天畠 嶋田君から前提となる情報を説明してもらいましたが、その上で中西先生のご質問にお答えしたいと思います。私は横塚さんの労働観にとても共鳴していて、私をかたちづくる規範として根付いています。具体的には、寝たきりでコミュニケーションを取ることが難しい重度障がい者が、おむつ交換を受ける際に、介助者のしやすいように腰を一所懸命上げる、その行動自体も労働だとしていたんですね。これを現代的に言い換えれば、家事労働に代表されるようなアンペイドワーク(不払い労働)ともいえます。今や労働と余暇の区別は曖昧となっており、労働の目的が、問題の解決や関係性を創り出すことにまで範囲が広がっています。その視点に立つならば、障がい者が地域で生きていくことで、介助者の雇用を創出し、地域に多様性を生み出していくわけですから、アンペイドワークの一つだといえるんじゃないでしょうか。そういった考えが自分にも根付いています。
ただ一方で、介助付き就労を広める活動をしていく中で、働けないとダメだというメッセージにはならないよう気をつけなくてはならないと考えています。矛盾して聞こえてしまうかもしれませんが、私自身「生きているだけで立派だ」とは思えず、研究者として、他者に認められるような研究を出したいと思ってしまいます。それは自分のなかに「生産性・能力主義」を内面化しているからかもしれません。横塚さんの労働観と、「生産性・能力主義」という相反する規範の間で、葛藤している私がいることも付け加えておきたいと思います。
3)座談会を終えて
財団 みなさん、お話をありがとうございました。大変名残惜しいのですが、そろそろお時間になりました。最後に中西先生、一言いただけますか。
中西 さまざまな研究テーマの人たちが集まるので、正直話が噛み合うか心配していた部分もあったのですが、思っていた以上に噛み合いましたね。
いろいろなところで社会が変わり始めていて、COVID-19はある意味ではそれを後押ししているし、ある意味では圧力をかけていると思いますが、変化の流れというのは止められないでしょう。その中で、この助成プログラムや他の方法を通じて、よい方向に世の中を変えていくための取り組みが出てくるでしょうし、その多くはトライ&エラーになるだろうと思います。ベンチャーだと収益の問題があってなかなか難しいですが、アイディアを作るとか、これまでつながらなかった人たちとのネットワークを作ることなどが貴重な場合もあります。この助成プログラムや今回のような集まりを積極的に活用していただき、それらが皆さんの研究にとっても刺激になることを期待したいと思います。そして、社会に対しても、思いもよらなかったような形でポジティブなインパクトを生み出してもらえれば大変嬉しいです。
財団 中西先生、ありがとうございました。本日は、3組の助成対象代表者の方々に参加していただきました。鈴木さんは地球規模で世界を理解するためのモデル構築を目指し、天畠さんは重度身体障がい者の就労をテーマに労働という概念の根本的再考に迫り、佐藤さんはDXの活用により政治と若者とを結びつけようとしています。それぞれ研究の内容も領域も、そして手法もバックグランドもまったく異なりますが、いまの時代に求められる「新しい連帯」に向けた視点を持ち、深いところで問題関心を共有していることが垣間見られたのではないでしょうか。
トヨタ財団研究助成プログラムでは、昨年度から「つながりがデザインする未来の社会システム」という大きなテーマを掲げ、副題を「ニューノーマル時代に再考する社会課題と新しい連帯に向けて」としました。「つながり」や「未来の社会システム」「ニューノーマル」などのキーワードを挙げていますが、それらが何を意味するのか、こうした座談会の議論などを通じて、今後も皆さんと考え、より良い社会に向けて助成プログラムを発展させていきたいと思います。本日は、本当にどうもありがとうございました。