※本ページの内容は広報誌『JOINT』に載せきれなかった情報を追加した拡大版です。
「食」のあり方から 社会のかたちを考える
私たちの活動と課題
栗林 私たちWAKUWAKUネットワークは豊島区で活動をしています。困難を抱えている子どもたちは自分から声をあげるのが難しく、また子どもは自分で環境を変えることができないので、そのような子どもたちを地域のみんなで見守り育てましょうということで遊び場を運営することからスタートして、現在は子ども食堂もやっています。
子ども食堂には乳幼児を抱える親御さんも来るので、子どもだけではなく親御さんの声も聞くようになりました。夏休みなど給食がないときには食費もかかるし、食事を用意しておかないといけなくて大変だというのを聞き、フードバンクに行って自分がもらったらうれしい食材を段ボールに詰めてひとり親家庭に送るという活動を、多くのボランティアの人たちとやってきたのですが、宅急便で送るから瓶は入れられない、パンはすぐに受け取れないとかびてしまう、葉物は日持ちがしないので難しいなど、送ることができない食品が多いことに気づきました。
そこで、豊島区で学習支援や子ども食堂をやっている有志団体が連携して、東西2か所の拠点にトラックでフードバンクから食材を持ってきて、必要な人に取りに来てもらい100人ほどが集い交流していたのですが、コロナ禍でできなくなりました。2020年のコロナ緊急事態宣言以降は豊島区の全域で、最初は屋外の駐車場などからはじめて今は公共の施設を借りて、多くのボランティアさんとともに、困窮子育て家庭がお米や余剰食材を取りに来て、そこからつながり子育てを継続的に応援する仕組みができました。
今は毎月500世帯以上の生活保護家庭やひとり親家庭、及び外国ルーツの家庭の方たちが食材を取りに来ます。子ども食堂はコロナが落ち着いてお弁当配布ではなく会食になってきたので、いろいろな方たちが食を介して繋がる網の目が細かくなりました。夏休みや冬休みなどは豊島区行政が創設した「としま子ども若者応援基金」を活用して、全子育て世帯を対象とした食料支援が実現したことも、住民による食料支援活動の成果ではないかなと思っています。それでもなかには食材をもらってもそれを調理する余裕がなく、米より弁当のほうがありがたいという人もいます。当然両方あるのでそのニーズに合わせた支援を創出するには、もっと多くの人と共に、その仕組みを作る必要があると思います。
下谷 私は調理師免許を持っている料理人です。以前、千葉県で餓死してしまった子どもがいるというニュースを聞いたときに、日本ではそのようなことは起きていないと思っていたので大きなショックを受けました。そのニュースについて、自分が加入しているライオンズクラブ所属の名士の方々がみんな涙を流しながら話していて、何かできないかなというところから食料支援をやっていこうという話になりました。
当時は八百屋のベンチャーに勤めていて保育園給食に野菜を卸す業務をしていたので年間約100トンくらい野菜を取り扱っていたのですが、どうしても1~2パーセントくらいのロスが出てしまっていました。多く収穫できてしまったり、売ってほしいと頼まれたものでも、どうしても売れなかったりするものがあります。そういったロスを必要なところに寄付できないかなというところに行きあたって、今一緒にプロジェクトをしている人たちと繋がることができました。
最初に子どもたちのところに持って行った野菜はニンジンでした。大量の野菜を持っていって子どもたちに配るということをやったときに、こういう寄付活動ができるんだと知ったのですが、いろいろな拠点にかなりの量を寄付したりお話を聞くなかで、コロナ禍の最中だったので格差も広がっていることがわかりました。私だけが頑張っても持続性があるのかなと考えるようになり、悩んでいたときに、トヨタ財団の助成に応募することができました。贈呈式で佐野 さんにお会いして、私たちの研究対象である卸売市場がご専門だということで話が盛り上がってから、お互いの繋がりを紹介しあってプロジェクトを一緒に進めてきていますが、佐野 さんがいらっしゃらなかったらここまで来られなかったと思います。
2024年度に食品ロス削減推進法の改正がされるということもあり、ロビイストの方たちと繋がって自分の知見や意見が、法改正の提案に大きく寄与できるということがありました。省庁に行ったり弁護士に会って意見を伝えるようなことをしている中高生にも出会いました。若い人たちが頑張っているので、私もフードロス関連で議員さんと一緒に何かできないか模索したり、目の前のハードルをかいくぐったりしています。まさにいろいろな繋がりを作っていけたらと思って頑張っています。
佐野 私はトヨタ財団と東大のコラボによる助成を受けて、2年目の活動中です。生産者と消費者の繋がりを作っていく持続可能な方法は何だろうということなどを考えて研究をしています。学部から博士までずっと卸売市場の研究をしていますが、卸売市場を使うことが生産者にとって有利な価格になるという経済効果があるという状況について調べてきました。そして持続可能性ということがキーワードになってきているなかで、それは環境的な側面からどう見えるだろうという点を今は研究しています。自分の中でアカデミアを選んだときからの悩みなのですが、10年近く考えているはずなのに、いつまでも現場の方からは卸売市場のことを何もわかっていないと言われてしまいますし、秋山さんのような方と出会うことはできても、卸売市場の中に踏み込めていないことをとても心苦しく感じています。
栗林さんや下谷さんがされているような物とも人とも繋がっているというところがコミットされつつ、社会を良いほうに変えるにはどうしたらいいだろうと考えます。たとえば豊島市場があるからこそ防災の機能が高まるかもしれないとか、こんなに災害も多く気候変動も激しいなかで、食が脆弱な日本においてフードバンク、フードパントリー、子ども食堂のような新しいセクターと繋がる人が市場の関係者にも増えることで、結果みんながハッピーになるのかもしれないと思っています。市場関係者の方にご説明すると、持続可能性? 何それ? と言われてしまうこともあるのですが、今日は栗林 さんとご一緒させていただいて、そういう方にかみ砕いて説明するときに、地域との繋がりや愛着をとっかかりにしたらいいかもしれないと思ったことが大きな学びの一つでした。
小さな仕組みをたくさんつくる
栗林 私は野菜は地域の八百屋か生協で買うようにしています。スーパーなどのほうが価格が安くてもそちらで買わないから、その代わり安全な食を提供してちょうだいね、という気持ちです。今日は初めて大田市場を見学しましたが、あの大規模な場所であれだけの人が介入して物流が回っているというのを見たので、生産者と消費者が顔の見える関係を作るってすごい研究だな、でもそこを繋げていくことができたらいいなと思いました。
大田市場のロスについては身近な大田区や品川区の団体と手を組んでいくというところから、小さなモデルを作っていくほうがいいと思いました。物が動く時にはコストも人も必要になるので、そこを最小限にしていくことが大事だと思います。
なんでもそうですが、すごく立派なパーフェクトな仕組みが一つあるよりも、パーフェクトではなくても小さな仕組みがたくさんあったほうが確実に世の中はよくなると思います。食品ロスの需要と供給を地域の中でマッチさせていこうという団体がたくさんできて、そこが育ったほうが社会全体の変革が生まれるのかなと思うので、大田市場は大田市場で近くの団体と繋がるべきだと思います。豊島区は受け取りに来る人たちの開拓ができているので、豊島市場の物が流通して小さいモデルができるといいと思います。
佐野 それは一番いいですね。泉専務に豊島市場の社長を紹介してくださいとおしゃっていましたが、そういう会話がすぐできるというのがすごいと思います。長い時間をかけたということもあると思いますが、どのようにして地域の方と信頼関係を築いてきたんですか。
栗林 地域愛ですね。LOVE豊島。出身地ではありませんが豊島区に住んで子どもを育てるので、他の地域を羨んでいても仕方がない。うちの子はここで育つしかないからここを変えていったほうがいいよね、という気持ちです。
佐野 エネルギーが強いほど敵を作りやすいと思うのですが、どのようにして進めているのでしょうか。
栗林 2019年から毎年「豊島みんなの円卓会議」というのをやっています。それは参加者に肩書を置いてきてもらって私人として本音で話し合う、記録を取らない会議です。
そこでたとえば、地域から孤立する人をなくしたいといったような、やり方は違えどみんなが持っているビジョンは一緒だということがわかりました。コロナの時も全国休校と決まった翌日に、今まで室内でやっていた食料配布を外でもいいからやりたいと相談したら、だれも反対しませんでした。
豊島区は独居の高齢者が多く子どもが少ないということで、2014年に消滅可能性都市に選定されたのですが、その時に日本NPOセンターの萩原なつ子先生がコーディネーターとなり、とにかく若い女性の声を聴こうということで区内在住在勤の女性100人を集めて「としまF1会議」というのを行いました。分科会を作っていろいろなチームで行政に対して市民が提案して、そこに行政が補正予算をつけて女性の声を区政に反映しました。このピンチから、行政も自分たちだけでは町は持続しないという学びがありましたし、市民は自分たちの声でまちを変えていけるんだということを実感できたので、その後官民連携の意識が醸成されたということはあります。
地域をよくしていこうという活動に反対する人って、基本的にはいないんですよ。だけど、あまりにも目の前のことで直接議論すると対立してしまうかもしれませんね。
佐野 そこまで地域と連携していると、すぐに豊島市場を巻き込んだ子ども食堂支援やフードバンクができそうですが、優先順位の問題でできていないんですか、それとも何か障壁があったのでしょうか。
栗林 私たちはこの4年間フードバンク的なこともやってきましたし、豊島区民社会福祉協議会でもフードバンクを立ち上げましたが、自分たちのことで手いっぱいというのはありますね。あとは場所の問題が大きいです。私たちは1か月で約600世帯分の食料を集めて配るのですが、それに加えて寄付金でお米を1か月100万円分くらい購入しています。この規模で食料支援を運営していると、フードバンクを設立したいと思いのある方から相談を受けても、応援するための作業がどうしても後回しになってしまいます。しかし私たちの団体がフードバンクの機能を担うよりも、その作業の協力者を募り、多くの皆さんと作業を分担してできる、みんなのフードバンクがあったらいいなと思います。
私たちは車がないので、区内13の拠点に地域の企業の車をお借りして食材を運んでもらっています。必要な人に取りに来てもらって地域の人が渡すので、そこで受け取る側と渡す側で顔の見える関係ができていきます。関係性ができてくると支援を受けることが恥ずかしいという気持ちより、そこに行くと子どもの成長をみんなが喜んでくれて、何かあったらいつでも相談してねと言ってもらい、応援してくれる人と出会うことができる場になっていきます。私たちは地域の子どもを地域で見守って育てたいと思っているので、食でつながりができると、その子が大きくなったら学習支援や子ども食堂にも繋げられます。地域の中でそれができると防災にも役立ちますよね。
子どもを大事にする人って、高齢者が困っていたらそちらも放っておかないんです。そういうこともあって、子どもたちを核にした街づくり、フードバンクができると困窮している人全てに支援が回るようになると思います。子ども食堂に独居の高齢者の方もどうぞと声をかけたり、あの方のところにはお弁当を持って行ったほうがいいといったような、細やかな対応が可能になります。
佐野 先ほどの視察の際、大田区の方にネットワークを紹介できますよとおっしゃっていましたが、どのようなネットワークがあるんですか?
栗林 大塚にある子ども食堂で使う野菜は、東松山で売れ残った野菜が東武鉄道の夕方の登り列車で運ばれて駅前の地下で売られ、さらにその売れ残ったものをもらう仕組みになっているそうです。私たちはある生協団体さんから野菜をいただいているのですが、それぞれそういう仕組みがあるので、大量にある食材を紹介したり融通しています。そのようなネットワークをご紹介できるかなと思いました。私たちは運搬に使う車がないので、トラックを所有している地域の畳屋さんや建築会社さんにお願いして巻き込んでいるのですが、そうするとその人たちにも自分も手伝っているんだという意識が生まれますし、彼らは私たちとは違う世界のネットワークを持っているので、情報をいただけたりもします。
佐野 勝手な偏見ですが、個人的に東京の方って人間関係を好まないのかと思っていました。
栗林 「豊島村」は違いますね。しかし、都会でも町会に関連したつながりは「村」のような意識が残っていると思いますよ。
佐野 ある意味その「村」のネットワークを意識して合う形にしていくとうまくいくのかもしれませんね。逆にいうと、そこに合わないとうまくいかないというか。
栗林 だからこそ子ども食堂のような地域に根差した活動を軸に仲間を増やしていけると良いと思います。私たちが運営している子ども食堂は、地域のシニアの方が地域の子どもたちのためにやっていますが、皆さん学校とも連携ができていたり民生委員だったりします。その人たちが前に出ながらいろんな人たちと一緒に運営すると結構うまくいくと思います。子どもの成長には食だけではなく洋服や学用品、なんなら家も必要です。いろいろな支援が必要ななかで、何かしたいけどできないという人たちを取りこぼさないようにしたいと思っていて、ありとあらゆる物、力、お金などを集めて子どもたちに還元できるような仕組み作りに助成プロジェクトで取り組んでいます。
子ども服に関しては豊島区内にある大きな商業施設が回収ボックスを置いてくださり、その仕分けを地域の人たちが手伝って、商業施設の広い素敵なスペースで子ども服マーケットを年に2回開催してくださっています。必要な人が取りに来て交流するというような機会を作ったり、食料支援で食料を手渡す拠点の一つは豊島区内にある大企業さんの本社一画です。今後も企業さんが気軽に参画できる仕組みを作っていけたらと思っています。
佐野 とても大きな企業をどうやって巻き込んでいるのですか。
栗林 区内商業施設の社員さんが最初に何か私たちにも社会貢献できることがありますかと言ってくださったときに、段ボールをくださいとお願いしたんです。すると商業施設内で消費するトイレットペーパーの段ボールだけでも毎日たくさん出るとのことだったので、それをもらって子どもたちの遊び場で使いました。そういうところから関係ができて、段ボール以外にも何かできることはありますかと言ってもらえました。子どもたちの笑顔を見ると自分たちにもできることがあるんじゃないかと思えるんですね。そこでハードルの低さを感じてもらう。地域の畳屋のおじさんにも土曜日にこれをここに運んでくれるだけでいいんだよ、っていうくらいからやっていただいて、小さい力がたくさん集まればいいと思っています。
アカデミアの力が必要になるとき
栗林 私たちはある意味で直感だけで活動をしていますが、研究する方がそれを評価するようなことも大事だと思います。お二人とも研究・調査という活動をされていると思うのですが、その成果を私たちがどう活用したらいいか、直感と学術がミックスされるといいものが生まれるのではと思うので、どのような調査をしているのか教えていただいてもいいですか。
下谷 私は現場主義なので気になった人に会いに行ったり、活動のお手伝いをすることを大事にしています。先ほどお聞きした100人会議のような前例も見てみたいです。最近は全国区で子ども食堂のネットワークが繋がりつつあると思うので、そういった活動のイベント実施を今後やっていかないといけないのかなと考えています。
食品ロスの法律が新しくなったら、世の中の人たちが注目すると思います。令和3年度の食品ロスは前年度から少し増えて523万トンと言われています。そんななか食事に困っている大人も子どももたくさんいるので、その支援ができたらと思います。支援活動をしている方はこの活動が減っていく、もしくはなくなるような社会になるといいよねとおっしゃることがあります。多くの人が世の中の歯車がちょっとおかしいよねと気づいてくれたらいいなと思うので、発信力を身につけていきたいですね。
研究者というと、とにかく研究をし続けていて、社会実装までは至らないというイメージがあるかもしれませんが、たまに社会実装に成功していても、そのリソースがあまり出てこないんですよ。なかには過去に非常に優秀な研究者がいたけれど、法律が枷で逮捕されてしまって早世してしまったりというネガティブな事例もあります。過去によくなかったことが起きたことで、今はそういう悲しいことが起きないように多くの人が協力しています。
佐野 下谷さんの活動が面白いのは、下谷さんご自身がいろいろなバックグラウンドをお持ちなこともありますよね。
下谷 そうですね、私はかなり特殊かもしれません。前のベンチャーにいたときは正直政治にはあまり興味がなかったのですが、そういった関心が高い人たちに野菜やお弁当を運んだ際にお話をしたりするなかで関心を持ち始めました。
あとは自分がなぜ生きているのかと考えたときに、先人たちが今の世界を作ってきたわけで、自分たちも主役なんだという気持ちでやっていくことで、以前は社会に対して声をあげるのは格好悪いとか怖いという意識があったのですが、今はいろいろな人たちに会って、意外とリーダーが求められているというか、発言できる人が大事かなと思っています。内に秘めてきたものをもう少しうまくたくさんの人に伝えられるように練習しないといけないなと、最近は考えています。佐野さんはいかがですか。
佐野 私は正直、下谷さんたちのプロジェクトに出会うまでは研究でフードバンクをとらえるということを全くしてきていませんでした。フードバンクやフードパントリーはアクティビスト的な側面が強いような気がしていて、社会にとって必要なのですが、先ほどのお話にあったようにフードバンクが存在する社会自体が悲しいというか、その存在はないほうがいいというような意見もあると思います。なので、私はそこはアカデミアでは扱いきれないかもしれないと思っていたところがありました。もちろん世の中にとって重要な要素であることは間違いないですし、これだけ社会に対していいことが起きているのに適切な補助がなされていないのかもしれない。ではどうしたらいいのかというときに初めてアカデミアの力が必要になると私は学術の立場から考えています。
栗林さんのお話をうかがっていて地域ごとの特有の活動だということが分かりました。地域性やそこにある人間関係をいかにして掬い上げて、抽象度の低い豊島区だけでしか通用しない知見ではなく、東京都もしくは日本全国で通用する知見に昇華させていく。このときに、はじめてアカデミアというものがその抽象度を上げて理論を使ったり比較を行ったりするところだと思うので、そこがアカデミアの唯一持つパワーなのかなと思ったりします。私が知っている農業経済という農学の社会学的な側面で見る研究分野だと、有名な先生はもちろんいらっしゃいますが、今たぶん若い研究者もようやく少しずつでてきたところなのではないかと思います。アカデミアがもう少し頑張って追いつかないと、現実はもっと進んでいると、今回すごくよく分かったところでもありました。
支えたり支えられたりするところ
栗林 若い人にどんどん活躍してほしいです。こうやって対話ができる場があったり、お互いの課題を共有することがまさに連携・協働なのかなと思います。こういう出会いは大事ですね。
佐野 なにも現場を知らないなと思われるかと思っていたので、とてもうれしいです。
栗林 そんなこと思いませんよ!
下谷 佐野さんのご苦労がうかがえますね。
佐野 私はずっと学術をしてきたので利害関係の外からいいものを与えたいと思う気持ちと、現場のことを何も知らないじゃないかと殴り返されることの繰り返しです。でも殴られるだけそれは扉を閉めているわけではないからいいじゃないかと言ってくださる方がいて、半信半疑になりながらという気持ちがあります。ずっと農業を専門にされてきた方、市場で働いてきた方のようなプロフェッショナルな知見がないから私にはできないと思ってしまうんです。
栗林 一緒に妄想すればいいのよ、みんなで同じ妄想をすれば大丈夫。私は今、中学校の中で居場所づくりというのもやっています。コロナ禍を経て全国的に不登校が過去最多となり、私の地域の中学校校長から不登校予防のために地域の力を借りて教師も生徒もウェルビーイングな学校にしていきたいという意向を聴いたことがきっかけです。
周囲からは学校で居場所づくりなど無理だろうと言われましたが、こうなったらいいよねと言い続けているうちに、校内の居場所が実現しました。それで今度は、中学校内にステキな居場所ができたことを宣伝し続けていたら、家具メーカーさんが家具を提供してくださいました。生徒からの希望も聞いたうえで家具を設置していただいた空間は、不登校ぎみの子も来たくなるようなとても居心地のいい場になりました。だから「こうなったらいいな」を発信し続けることは大事だし、仲間が増えて楽しい。でもそれをただただやっているだけで研究は誰もしていないので、地域は豊かになっていきますが、活動が横展開しない。学術的に研究してくれる人がいてくれたらいいなということは、多くの子ども食堂や食料支援活動のみなさんは切望していると思います。
佐野 頑張ります。
下谷 WAKUWAKUさんに視察に行きたいです。
栗林 食品ロスも重要な課題ですが、そこで人が繋がってそれを介することで豊かになるということも大切です。それにはいろいろな人たちが集まってあれこれ言い合うのが大事だと思います。豊島区にはいろいろな子ども食堂がありますが、どれもみんな否定はしないんですよ。
佐野 モラルが高いですね。子どもに目が向いているとそうなるんでしょうか。
栗林 みんなやらされているわけではないし、ない資源をなんとかやりくりして、地域の子どもたちのためにやりたいという人たちだから、お互いいろいろなノウハウの共有や食料も分け合ったりしています。
佐野 そうすると悩んでいる子ども食堂さんの悩み解決なんかもうまくできそうですね。
栗林 そういうこともみんなで話し合ったりしますよ。継続的に子どもを見守る環境を作るには豊島区全体が豊かにならないといけないので、そういう意味ではみんなでいっしょに育つことが必要だと思います。
佐野 全体を豊かにというポイントはみんな大事だと思ってはいても、それを発言できることってあまりないと思うのですが。
栗林 プレーパークで自分の子どもが遊んでいるときに、横にいる子は昨日から何も食べていないとか、車の中で暮らしているというような子だったりする。うちの子だけが幸せになる方法って絶対なくて、みんなが笑顔で初めてうちの子も幸せなんだと思います。困っている子におせっかいすることって、結局自分を幸せにすることにも繋がると思うんですよね。子ども食堂も子どもたちのためと言いながら自分も得るものが多いです。そうやって支えたり支えられたりするところに、食があると関係ができるけど、外側をいかに巻き込むかというのが、社会で子どもを見守り育てるということに繋がっていくと思います。
佐野 子ども食堂自体の持続がむずかしいとか、やりがい搾取みたいになってしまったり、身を粉にしている子ども食堂もあると聞いたことがあります。子ども食堂だけでやってしまうと困難に直面してしまうこともあるのでしょうか。
下谷 さまざまな子ども食堂へヒアリングをするなかで、立ち上げは出来たもののさまざまな理由で継続して運営できなかったり、食品を寄付してくれると言った人や業者の方が一度は来たけれどその後音信不通になってしまったというような経験があると聞きました。せっかく想いをもって立ち上げたのにうまくいかなかったり続かなかった子ども食堂があるということを考えると、全国の子ども食堂のノウハウが共有される仕組みを作ることや、私のプロジェクトで調査研究したことをたくさんの人に知ってもらえればより持続的な子ども食堂の運営に寄与できるのでは無いかと考えております。
話は変わるのですが、子ども食堂の歴史ってどれくらいなんですか。
栗林 大田区で「だんだん子ども食堂」が最初に子ども食堂をはじめたのが2012年ですから12年目だと思います。
下谷 ということはまだできて間もないと言ってもいいですね。
栗林 この10年で全国に7,000か所できたそうです。これは市民力ですよね。
下谷 10年で7,000か所もの子ども食堂があるのですね、市民力の強さに驚きました。それだけの数がありますと、子ども食堂の運営に関するネットワークから外れているところもあるのではないでしょうか?
栗林 豊島区ではないと思います。どの地域もネットワークができていると思っていたので、そういう残念なことになってしまっている子ども食堂があることに驚きました。
下谷 10代の若者と意見交換をすると、子ども食堂の存在が当たり前になってきているのを感じますが、フードバンクはまだあまり普及していない体感があるので、今後はフードバンクの活動も広まっていくように調査研究で知見を高めたいです。たとえば兵庫県にてフードバンクの調査をしている方からお話をうかがったのですが岡山県でのフードバンクの活動がとても盛んなので全国的にも先進的な活動をされているそうです。ほかにも全国にいい事例はたくさんありますから、引き続き調査活動を続けて全国の優れたフードバンクの仕組みをまとめていきたいです。
最後に私は料理人なので、子ども食堂や食支援に対して料理人の立場から何かできないかなというのは常々考えていて、支援の輪を料理人がたずさわれる形を作りたいと考えております。食は人生を変える力を持っていると信じているので、さまざまな理由で食に困っている方々へ人生が変わる程のきっかけを作る活動を必ず実施します。今日は早朝からありがとうございました。勉強になりましたし、楽しかったです。
佐野 今日は皆さんが市場視察に来てくださったり写真をたくさん撮ってくださったのが嬉しかったです。私たちは卸売市場なしには毎日食べ物を得ることはできないと思います。なので、過大評価も過小評価もせず、卸売市場のアクター以外の方に直に見ていただくということが愛着感を増すためには大事だと思っています。
栗林さんのプロジェクトは食でつながるという言葉が入っていますが、人は食べずには生きていけないですし、今朝視察の後、みなさんと食事をしたあの卸売市場内の食堂のお母さんの笑顔も私たちの視察を幸せなものにしてくれた一つの要素でしたよね。それを体現されている栗林さんとお話しできて、私も研究の幅を広げてフードバンクの研究も頑張りたいと思いますので今後ともよろしくお願いします。
栗林 今日は初めての市場見学を佐野さんにアレンジしていただきましたので、今度はぜひ豊島にお越しください。そこからきっと何か生まれるのではないかとワクワクして今日は終わりたいと思います。ありがとうございました。
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.44掲載(加筆web版)
発行日:2024年1月25日