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JOINT36号 WEB特別版「ケアの現状と今後のあり方をめぐって」

JOINT36号「ケアの現状と今後のあり方をめぐって」

2021年2月22日に開催されたこの座談会では、新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、負担が増加していると思われる「家族・親族」の観点から、「ケア」に関わっている方々にお集まりいただきました。その対象やアプローチは少しずつ異なりますが、何を見て、何を感じているのか、よりよい「ケア」のためには何が必要か、一緒に考えてみませんか。

※本ページの内容は広報誌『JOINT』に載せきれなかった情報を追加した拡大版です。

ケアの現状と今後のあり方をめぐって

仲村佳奈子(なかむら・かなこ)
◉仲村佳奈子(なかむら・かなこ)
NPO法人Ubdobeデジリハ事業部ゼネラルマネージャー。理学療法士。子どもたちが子どもたちらしく遊び、楽しく、らくちんに生活できる社会、「障害のあるなしに関わらず」なんて言葉がいらなくなる日を目指して活動中。2019年度 先端技術と共創する新たな人間社会 助成対象(代表:岡 勇樹)
デジリハウェブサイトこのリンクは別ウィンドウで開きます
*2021年4月1日より、NPO法人Ubdobe デジリハ事業部から、株式会社デジリハへ分社化

活動に至るそれぞれの経緯

利根 まずは自己紹介からお願いします。

仲村 NPO法人Ubdobeデジリハ事業部でゼネラルマネージャーをしております、仲村といいます。デジリハは簡単にいうとリハビリをしている人のためのエンターテイメントを入れたアプリのようなもので、障がい児に対する支援というところから始まっています。

私はもともとリハビリを提供する専門職、理学療法士をしていて、成人とお子さんに対して理学療法を提供していました。生涯ないし長期間にわたってリハビリテーションが必要になるようなお子さんが対象になることがすごく多かったです。

当時理学療法士としてマンツーマンのケアを提供していて、もちろん一人ひとりのお子さんに対してすごく一生懸命向き合ってはいたのですが、リハビリをただやるということに疑問を感じていた部分もありました。気が向かなかったり、嫌いだったりして泣いてしまうお子さんもいたりするなか、リハビリを1週間に40分、ここで一生懸命私がやったところで、この子たちの人生は何が変わるんだろうという疑問や、モヤモヤが少しずつ生まれてきました。

加藤さくら(かとう・さくら)
◉加藤さくら(かとう・さくら)
NPO法人Ubdobeデジリハ事業部販促担当。 次女が福山型先天性筋ジストロフィーの当事者家族。次女のリハビリを行う過程でNPO法人Ubdobeに出会い、デジリハに参加する。めっちゃくちゃ楽しくて子ども自ら『やりたい!』と思うリハビリツールとして、デジリハが全世界の子どもたちに普及を目指す。
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*2021年4月1日より、NPO法人Ubdobe デジリハ事業部から、株式会社デジリハへ分社化

それでも子どもたちと接してお仕事をするのはすごく楽しかったので、モヤモヤはありつつ充実していたという感じでした。そこから紆余曲折あってデジリハと出会い、ここでなら私が感じていたモヤモヤを解決できる社会のあり方に貢献できるかもしれないと思ってジョインして早2年ちょっとです。よろしくお願いいたします。

加藤 私はケアを受ける側、当事者家族の立場にあります。私には娘が2人いて、下の子が先天性の筋ジストロフィーで0歳からずっとリハビリを続けています。進行性の病気ということもあって、筋縮を予防したり、いろいろとケアしなければいけない、終わりがないリハビリをずっとしています。

娘のリハビリでモヤモヤしていたところがあり、どうせやるんだったらもっと楽しくリハビリできないかなと思っていたところに、NPO法人Ubdobeの代表の岡から、こういったリハビリだったら楽しいのではないかという提案があって、プロジェクト発足時から関わっています。

鈴木 恵(すずき・めぐみ)
◉鈴木 恵(すずき・めぐみ)
看護師として、病院・重症心身障害児訪問看護事業・訪問看護ステーションにて小児・障害児を専門に従事しつつ、家族支援を目的に医療コーディネーターとして活動。2010年に沖縄に移住し、一般社団法人Kukuruを設立。障害児の息子を持つ、一児の母。
一般社団法人Kukuruウェブサイトこのリンクは別ウィンドウで開きます

鈴木 一般社団法人Kukuruで代表をしております、鈴木と申します。

私は今沖縄にいますが、東京生まれ東京育ちです。生まれつき体が弱くて、3歳くらいから中学1年まで、秋以降はほぼ入院していることが多い子どもでした。5歳上の姉がいるのですが、姉の方が私よりさらに病弱で命に関わる病気だったということもあって、両親の心は全てそちらに持って行かれ、小学校1年生くらいからは夕食作りや家事といったことを役割として与えられつつ、自分も病弱でしょっちゅう入院するみたいな生活をしていました。

息子は入退院が多かったのですが、入院中は同じ医療従事者として家族への対応が許せなくて、そんな気持ちのすれ違いから医療不信に陥り、その結果として理不尽な目に何度もあいました。看護師としても母親としても本当にどん底に突き落とされて、どうしてこんなことが起きてしまったんだろうと考えたときに、自分が悪いところは認めながらも、でもこう思ってしまうのは私だけじゃないよなとか、同じように思っているお母さんたちがいっぱいいるのではないかと思って、その経験を社会に還元しなければいけないと思うようになりました。

その後、重度の障がいを持つお子さんのお母さんたちから沖縄に行きたいという要望や相談がすごくたくさんあって、沖縄に引っ越せばそんな夢をかなえてあげられるのではないかと思いました。自分が子育てをしていたときに、こんな制度やサービスがほしかったなというのを実現するために、2009年に現金80万円だけを持って単身で沖縄に飛び込み、3か月後に法人を立ち上げて今に至っています。

東 恵子(あずま・けいこ)
◉東 恵子(あずま・けいこ)
NPO法人シャーロックホームズ理事長。一般社団法人ダブルケアサポート代表理事。子育て支援・青少年支援として、居場所づくりと情報提供の2本柱で「地域を元気にする」をモットーに活動。近年では調査事業や企業との協働事業に力を注ぎさまざまな企画運営に関わる。2015年度 国際助成プログラム助成対象者。
特定非営利活動法人シャーロックホームズウェブサイトこのリンクは別ウィンドウで開きます

 NPO法人シャーロックホームズの東と申します。横浜で子育て支援をしているNPOです。2003年に1人目、2006年に2人目を出産したのですが、最寄り駅が横浜という都会に住んでいるわりに、当時子育て支援に関する情報が全くなかったことにすごく不便を感じていました。そのなかでシャーロックホームズという親と子の居場所を作っている法人、当時はまだ任意団体だったのですが、その団体と出会って子育て支援に関わるようになりました。

トヨタ財団から助成を受けたダブルケアの事業ですが、今日参加されている横浜国立大学の相馬先生がダブルケアという研究を始められて、研究の対象者である子育てをしている人たちとつながりがある私のところに協力依頼があって、関わるようになりました。

今いるここは事務所なのですが、すぐ隣に乳幼児親子が来る「つどいの広場」が併設されています。先生からダブルケアのことを聞いたときに、介護をしながら子育てをしているという人が私たちの広場からは全然聞こえてこなかったので、本当にそんな人がいるのかなと半信半疑でこの研究に関わらせていただいたのですが、調査を進めていくと、広場に来ていない層の方たちが介護をしながら子育てをしている、もしくはそういう経験があったということが見えてきました。そういう方にこそ支援を届けなければいけないのに、必要な子育て支援が届いていなかったんですね。

私たちは研究の過程でいろいろな方と出会うきっかけをいただいて、現在このNPOとは別に、一般社団法人ダブルケアサポートというダブルケアの支援に特化した法人を立ち上げて、子育て支援とあわせてダブルケアの支援にも取り組んでいます。相馬先生との出会いによって、子育てだけで見ていた支援が、介護などさまざまなケアも含めて考える視点を持てたのが、すごくありがたかったことかなと思っています。

相馬直子(そうま・なおこ)
◉相馬直子(そうま・なおこ)
2005年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。 横浜国立大学大学院国際社会科学研究院教授。共著に『ひとりでやらない 育児・介護のダブルケア』がある。

相馬 私は横浜国立大学の大学院国際社会科学研究院におりまして、東アジアの家族政策について研究しています。

もともと子育て支援についての日本と韓国の比較研究から出発しました。子どもが自由にいきいきと生きていける、そんな社会の条件ってなんだろうということを考えたくて、研究の道に入りました。この10年弱は、少子化と高齢化が同時進行する東アジアのダブルケア(育児と介護の同時進行)について、東アジア共通の新たな社会的リスクの問題として研究しています。

ところが、それを東アジアで考えるにあたっては、母親の問題というのが、子育ての問題の前にあることを考えないと、その後ろの子どもの問題にアプローチできないのかなというようなことを、学生時代に感じました。それで、地域の子育て支援のフィールドワークや社会調査やまちづくりの調査をして、世田谷や横浜を中心にたいへん多くの方々にお世話になりました。

転機となったのが、このダブルケアの研究の共同研究者の方たちとの出会いや、東さんをはじめとする横浜の方々との出会いでした。

アーティストライブのキッズスペース

ケアする人のケアを

利根 ありがとうございました。続いて各プロジェクトの内容についての説明をお願いします。

加藤 そもそもデジリハがどうして生まれたかというと、デジリハはNPO法人Ubdobeが行っている事業のひとつです。左の写真はUbdobeがあるアーティストのライブでキッズスペースを作ったときの映像です。親子2600名くらいがこのスペースで遊んでいたのですが、デジタルアートを放映して、なにかを叩くとインタラクションがあるという仕掛けがある空間でした。この空間を岡(NPO法人Ubdobe代表)が見て単調な動きをするリハビリに活かせないかという着想が生まれたのですが、とはいえお金がかかるし……ということでちょっと眠らせていました。

子どもは常に遊びの中で生きていて、やりたかったらやるけどやりたくなかったらやらない、面白かったらやるけど面白くなかったらやらない、みたいなわかりやすい性質があります。リハビリはとても大事なことで、身体機能を良くするのか、もしくはそのまま維持するのか、というのは子どもによって違いますが、いずれにしてもとても必要なことなので、だったら楽しくできないか、というところから始まっています。

デジリハ

右の写真のこの男の子は脳性麻痺があって、いつもリハビリでずり這いや立位の練習をしています。この子は海が好きなので、クジラや大漁みたいないろいろな好きなものをデジタルアートで反映して、それを触ると何か反応があるというものを最初に作ってみました。後ろにいるのが理学療法士で、いつもは彼女に支えられて立位をするとか、立位をするために装具をつけられるという彼の意思ではなくリハビリをやっていくパターンが多いのですが、このとき彼はクジラがバーッと壁面に泳いでいるのを見て思わず触りたくなったんですね。これが彼の立ち上がりたいという気持ちに沿ってリハビリに取り入れることができるのではないかという希望を生み出した最初でした。

私たちのデジリハが求めるところは、このように遊んでいるうちにリハビリになっていたという光景が当たり前になればいいな、ということで進めています。先ほど仲村が自己紹介で申し上げましたとおり、彼女は理学療法士ですが、彼女以外にも、たとえばプログラマーは作業療法士で、作業療法士が開発に直接携わっているというところは結構面白いかなと思っています。他にも営業担当の中に作業療法士やドクターがいますし、私以外にも当事者家族がいて、さまざまなメンバーがプロジェクトに参加しています。ビジョンとしてはリハビリを楽しくというだけではなくて、その先に社会参加ができたり、家族全員の生活の質が上がるようなことをめざしてやっています。

デジリハが解決したい課題という点では、リハビリを楽しくしようというのがもちろん最初の目的ではあったのですが、いろいろ深掘りしていくと3つありました。まず1点目は単調な動き。子どもたちが頑張ってできるようにセラピストさんとかがすごく頑張っているのですが、それでも関節の稼動域をあげるのにちょっと痛い動きをするというようなことがあるので、そういうところをなんとかエンタメの力で緩和できないかなというのがあります。あとは皆さんの想像の範囲かもしれないのですが、病児や障がい児などリハビリをしているお子さんたちの遊びの欠如というのがあります。これはどういうことかというと、定型発達で育っていくお子さんたちは公園に行けば普通に遊べますし、既存のおもちゃでもいろいろ遊べるものがあるのですが、障がい児が公園に行ったときに遊べる遊具がないというのは、想像がつきやすいと思います。既存のおもちゃも筋力が弱くてボタンを押せないとか、そもそも手が届かない、またはルールがわからなくて遊べないというようなことがたくさんあります。

デジリハ

遊びの欠如にはいろいろなシチュエーションがあるのですが、障がい児の子育てをしていくなかでは、なにかすごく工夫をしない限り、子どもが子どもらしく過ごす時間というのは少なくなってしまいます。病院での治療の時間やリハビリの時間も毎日あるので、子どもらしく過ごさせるには大人が工夫して環境を作っていかないといけないのかなと思っています。

2点目、身体障がいを持つ子どもたちの約8割は特別支援学校に行くというデータがあるのですが、支援学校に行っている子と普通学校にいる子は分断されています。復籍交流などいろいろな制度はありますし、インクルーシブ教育などの言葉はありますが、それでもなかなか一緒に育つという環境にはなっていません。デジリハはリハビリを提供している場所全てで利用できるようにしています。病院施設などはもちろん、訪問リハなどを含めてリハビリのほとんどは親がやるというシステムになっているので、個人宅でも使えるようになっています。あとはデジリハというプログラムがあるというよりは、いつもしているリハビリに併用してデジリハを使うことで子どもたちが動きたいとか触りたいとかやりたいという気持ち、モチベーションを上げるという、代替えというよりはリハビリに併用して使うものと考えていただいています。

先ほどの遊びの欠如や分断されているという話に繋がるのですが、開発の過程にデジリハラボというラボがあり、定型発達の子やいろいろな子が通っているのですが、そこで一緒に開発を進めながらユニバーサルマインドが育まれればいいなということで開発の途中に子どもたちが入っています。デジリハをするのには、Windowsのパソコンとセンサーと、デジリハベースをダウンロードしていただく必要があります。ダウンロードしたらこのようにログインして、センサーを選んで動きを選んでアプリを選んでという手順なのですが、アプリはさまざまありまして、年間40本ほど増やして飽きがこないようにしています。

あとは個別性がとても高いと思います。たとえば聴覚過敏の子には音楽がないほうがいいとか、オブジェクトが大きくないと認識できないとか、そういったさまざまな個別展開ができるように、全てのアプリはカスタマイズできる仕様になっています。センサーは今5種類対応となっていて、全てAmazon等市販で購入できるものです。デジリハのオリジナルというのではなく、一般的に販売されているものをプログラミングで使えるようにしています。小さいセンサーなのですが、リープモーションという手指の動きを感知するものが出ていて、これは1万円くらいで買えます。手のグーパーの動きやキャッチ・アンド・リリースといった、よく作業療法でやるようなリハビリに使われる動きを促すセンサーとなっています。お魚が出てくる手の動きを促すアプリがあるのですが、この動きをするにはどういったアプリだったら楽しくできるかというのを子どもたちが考えました。手を魚の尾ヒレに見立ててたくさん動かすとお魚が大きくなって、あとで対決するみたいなアプリだったら楽しいのではという子どもたちのアイディアが形になったものです。

視線入力のセンサーもあって、これは重度の障がいを持つお子さんとのコミュニケーションツールとして使われがちなのですが、発達障がいのお子さんなどのビジョントレーニングにも使われたりしています。うちの子にもデジリハを使ってみたいといってくださる親御さんは多いのですが、専門職の方々にその子にはちょっと早いよとか、合わないと思うと言われてしまうパターンもあります。リハビリの過程でセンサーのようなものを使うことで親御さんにうちの子にもこういうのができるかもしれないと感じてもらい、できれば専門職の方にも食わず嫌いではなくて、ちょっと使ってみたら可能性が広がるかもしれないと思っていただけるよう、子ども一人ひとりに合ったものが提供できるようになったらいいなと思っています。

デジリハ

仲村 事前に共通で質問いただいたコロナ禍の影響、特にケアの社会化、ケアを家族の外に出すというところに関してですが、今加藤から説明がありましたように、我々のサービスは現段階ではお家でやるには親御さんにやってもらわないといけないつくりになっていて、あまりケアの社会化というところには貢献できていないなと思っていますが、コロナ禍の影響で多くの親御さんがお子さんをリハビリに行かせられない状況が起きているんですね。もともと免疫がすごく弱かったり、呼吸器を付けていて風邪だけでも相当重症化するようなお子さんが多いので、普段だったら毎週行っているような療育センターに行けない、家の中でお子さんを抱え込んでいるような状況が散見されていて、現状我々はまだそれがすぐ解決できるわけではないのですが、遠隔のリハビリテーションみたいなところで我々のシステムがもっとうまく働いていけば寄与できるところがあるのではと考えています。私個人としては専門職が全てをやることがいいとは思っていなくて、対等にチームとして親御さんも専門職もうまく機能していけると良いのかなと。そこにデジリハもうまくかんでいければ良いなと思いながら活動しています。

加藤 娘がデジリハを使わせてもらっているのですが、デジリハをやるときはリハビリという概念ではなくて遊んでいるという概念でやってくれています。やりたいと娘に言われてデジリハを出すときに、彼女は完全にゲームをやっているんですよ。ゲームというか遊んでいる。私はリハビリをするんだったらこの装具をつけようねとか、ちょっと足をストレッチしようねみたいな感じで完全にリハビリという体から入ってしまうので娘にすごく嫌がられるのですが、リハビリというところから入らないデジリハに関しては、親としてはこれだけの分量をやらなければいけないと苦になっていたことも、遊びでやってくれるんだったら一緒にやって楽しいみたいなところで負担が軽減することがあると思うので、今までそういったツールがなかったという点でいうと、デジリハってもしかしたら私のようなリハビリが苦手な親御さんたちにも、いい切り口かもと思ってもらえるかもしれないと思っています。

仲村 いろいろな職種と当事者がどう共同しているプロジェクトに関しては、先ほど加藤からも説明がありましたとおり、我々のプロジェクトはそもそも専門家抜きで動き出したプロジェクトなんですね。代表者の岡は専門職ではありません。そこに加藤がジョインしてプロジェクトとして動き出して、動き出した後に専門職がどんどんジョインしてきました。私は1年くらいプロジェクトが動いてから入りました。そういう意味でデジリハはすごく当事者性が高く、かつそこに専門職がそれぞれのスキルを合わせて動いています。研究職の大学教員の方などが直接メンバーの中にいるわけではないのですが、協力するという形でプロジェクトを動かしているのがデジリハです。加藤さんから補足があったらお願いします。

加藤 世の中にあるものって本当に必要としているニーズの当事者抜きにできあがったあとからどうぞって当事者に提供されて、当事者としてはこれはちょっと求めているのと違うんだけどな……みたいな商品が結構あったりするのですが、そういうことにならないように、リハビリをする子どもたちのことをプレーヤーと呼んでいるのですが、プレーヤーの子どもたちにもプロトタイプの段階や、こういう案があるんだけどっていう段階で入ってもらって、当事者との繋がりをすごく大事にしているプロジェクトだと思っています。

一般社団法人Kukuru外観
一般社団法人Kukuru外観

利根 では次に鈴木さんお願いできますでしょうか。

鈴木 私ども一般社団法人Kukuruは、どんな子どもでも、親でも当たり前のことを当たり前にできる社会へ、全ての人がその人らしく生きる場所の構築をめざしています。活動のコンセプトとしては、日ごろ介護に頑張っている家族を支援したいということで、家族支援をメインに活動をしています。

Kukuruの事業内容は大きく分けると、バリアフリーの旅行支援事業と障がい児・者の在宅支援事業の2つです。バリアフリー旅行支援の事業のこともお話したいのですが、今回は障がい児・者の在宅支援事業をメインでお話しさせていただきます。

2010年にKukuruを設立して、その翌年には喀痰吸引等研修という、家族以外の介護職や保育の方たちも医療行為をできるようになるための研修事業をスタートしました。そして在宅レスパイトサービスという、お家でお子さんをお預かりするサービスを始めたのですが、最初は自主事業というか自費でのサービスだったんです。自費ではお金がある人しか使えないサービスになってしまうので、2015年に訪問看護と訪問介護の許認可をもらい、公的サービスとしてレスパイトサービスを提供し始めました。

それから訪問事業を続けてきたのですが、もうそれだけではどうにもならない限界が来たな、子どもを預かれる場所が必要だなと思っていたところに、日本財団さんから難病の子どもたちの地域連携ハブ拠点を立ち上げてみませんかとお話をいただきました。そこから3年くらいかかりましたが、2019年に「Kukuru+(くくるプラス)」という施設を作ることができました。「沖縄小児在宅地域連携ハブ拠点」と位置付けていて、この中に小児専門の有床診療所も併設してお預かりサービスしています。

この施設では、主に医療的ケアが必要なお子さんたちを対象に支援をしています。医療職はなぜ家族の気持ちを聞かないのか、というのは永遠の課題だと思います。自分自身が当事者だったときもそうでしたし、今に至っても、このことをすごく疑問に思っています。思い返せば、自分が病院で勤務していたときには、医療職としてケアや処置の主体になっていました。でも家に帰ったら、介護は家族主体になる。医療者にとっては、病院で勤務したことのない人が自宅で介護する状況は、なかなか想像がつかなくても仕方がないのかなとは思います。ですから、医療者と家族との意識の違いをなんとかしないと、もっと根本的に変えていかないと、と思っています。

花火

というのは、自分もそうでしたが、支援が少ないことによって親御さんが1人で抱え込んでしまうんです。1人で抱え込むとケアの完成度が誰よりも高くなってしまう。医者や看護師は足元にも及ばないくらい親御さんのケアの完成度は素晴らしいです。でも、この完成度が高くなればなるほどだんだん他人に預けられなくなり、そのうち子離れ・親離れができなくなって共依存が起きていくのではと私は考えています。自分自身もこの悪循環のサークルにはまり込んでいたことに、外に出て初めて気付きました。本人たちはこのサークルの中にいる間は、自分が入り込んでいることになかなか気が付かないんです。

親が育てるのが当たり前という社会の圧力の中で、普通のお子さんもそうですし障がいがある子もそうだと思うのですが、子育ては社会全体でしていくというように進められたらいいなと思っています。それから、障がいのある子どもたちにも自立してほしいと考えるときに、自立というのはなんとなく自分ひとりできちんと生きていくというイメージがあると思うのですが、自立にはいかに依存先をたくさん増やして親以外の人に看てもらえるかがすごく重要なポイントで、そのなかでその人自身を最大限尊重して、その人らしく生きられるというのが大事なのではと思っています。

私自身が悪循環のサークルに入ってしまったのは、子どもに対して健康に産んであげられなかった罪悪感が根底にあるからだと思います。だから子どもにつらい思いをさせたくないし、大事に育てたいという気持ちが強すぎて、自分が育てれば、自分が可愛がってあげれば、それでこの子は幸せなんだと。そういう思い違いというか錯覚をしている部分が多かったと思っています。

普通のお子さんの場合は、保育園や幼稚園、小学校で親御さんと強制的に離れられるチャンスが訪れます。けれど、障がいのある子、特に重い障がいがある子は、保育園も学校も入院中も親が付き添うのが当たり前の世の中だから、そういう通常踏むべき親離れ・子離れのステップが与えられてない。いざどこかに通園しようとなったときも、医療的ケアが必要だからリスクが心配とか、集団生活をしたら感染症を起こしてしまうかもしれない、という思いでいると子どもと離れるきっかけを失ってしまう。集団生活に入れないといけない理由を、親自身が見つけられなくなるのではないでしょうか。私自身も身体が弱くてあまり学校にいけず、息子も訪問学級だったので、学校に行く意味は全く見つけられなかったですし、誰も教えてくれなかったなと今も思っています。自分の反省からも、どうして社会に出ることが大事なのか、この子自身を尊重するとはどういうことなのかという意識改革を、できるだけ早い時期からすべきではないかと思っています。

私はどんなに重い障がいがあっても、家族も本人もお互い自立できる沖縄をめざしていまして、そのなかでステップを大事にしたいと思っています。

ステップ1は、お家の中で知らない人と過ごすこと。子どもは自分のテリトリーである自宅であれば他人を受け入れることはとても上手なので、まずは訪問診療・訪問看護・訪問介護で仲良くなる。信頼関係ができたら、次のステップ2に進みます。今度は、お家以外のところで信頼関係を築いた人と一緒に過ごす。Kukuru+の医療型短期入所や日中一時支援がこれにあたります。これができたら最後の段階であるステップ3、知らない場所で知らない人と過ごすことに進みます。これが地域の通所や通園、通学です。私たちはあくまでもハブ拠点、繋ぎ役として活動して、子どもと家族が地域の様々な人々に支えられながら暮らしてほしいと思っています。沖縄では、人工呼吸器をつけているような重度のお子さんでも通う場所が結構あって、そういうところは沖縄はすごいなあと思っています。

プール

Kukuru+は主に人工呼吸器を利用しているお子さんたちの居場所、という位置付けをしていますが、障がいのあるお子さんたちが集まるだけの場所では地域と繋がることは難しい。だから、1階は地域の交流スペースにしていて、サークル活動に使ってもらったり、カフェを設置したりしています。今はコロナの影響もあってこのカフェが営業できないのを非常に残念に思っています。屋上にはプールもあって広いテラスがあるので、ここは近いうちにビアガーデンをオープンさせたいなと思っています。

また、有床診療所としての役割も持っています。一般診療はしていませんが、訪問診療もしていて、療育センターの小さい版といった感じです。

このKukuru+でお預かりサービスを始めた時、なかなかお子さんを手放せない親御さんたちに対して、こういうサービスは親御さんのためではなく子どもたちのためにあるんだよ、という私たちの考え方をお話ししました。繰り返しお話することで、なかなかサービスを受けられなかった方たちもやっと利用し始めて、子どもが慣れて親御さんも離れられるようになりました。ところが利用者も増えてきたところで、コロナの感染拡大が起きてしまい、第二波のときには短期入所を閉鎖せざるを得ない状況になってしまいました。さらには、感染する不安があるからと親御さんが訪問サービスを断るケースも出てきました。本来なら具合が悪いときこそ訪問サービスを使うものなのですが、具合が悪いけれどもしこの子がコロナに感染していてスタッフに移したら申し訳ないからと、訪問を辞退されるケースも多々あります。

お預かりのサービスを閉鎖せざるを得なかったのはKukuruだけではなくて、県内の療育センターという別の施設が全てクローズになりました。それで親御さんたちの負担が増えて、心身ともに疲れ切ってしまわれてきたので、自分たちにできることは何かと考え、1人1部屋と決めて預かりを再開しました。今まで複数人お預かりしていた広い部屋を使って、まず1人から再開し、次に個室を使って1日2人に増やしました。それでも要望が多くて、広い部屋をビニールカーテンで完全に仕切って部屋数を増やし、受け入れ人数を少しずつ増やしました。新規での利用希望も多く、とにかく需要がすごくて、月に複数回利用できていた方が月1回くらいしか使えなくなってしまいましたし、ビニールカーテンがあるのでお友達と触れ合うこともできなくなってしまっています。

実は、感染防止の観点から利用者1人につきスタッフ2人を配置せざるを得ない状況なので、人件費の負担が大きくなっています。今は民間の助成金を活用したりしてなんとかしのいでいますが、この先もずっとこの対策をしなければいけないとなると、もう無理ですという判断をせざるを得ない日がいつか来てしまうのではと思っています。

シャボン玉

最後に、「レスパイト」という言葉について。世の中的には家族を休息させるという意味で使われていると思うのですが、親の立場から言うと、子どもをどこかに預けて嫌な思いをさせてまで自分は休憩しようなんて思えない方が多いと思います。でも、レスパイトは家族のためではなくて、子どもが親以外の人に自分をゆだねる練習の場でもあると思うんです。そこが子どもにとって必要な場所で子どもが楽しめる場である、と親御さんが認識してくれれば、その副産物として親御さんが自由になれて休息できるよ、というようにレスパイトという言葉の意味を変えていく必要があるのではと思っています。

Kukuruでは病院らしさを出さないことをすごく大切にしています。医療が進んで障がいのある子どももすごく長生きできるようになっていますが、いつ亡くなるかわからない、いつも死と隣り合わせの子どもたちもいます。いずれにせよ大事に大事に育てるだけではなくて、その子どもがいかに楽しく過ごせるかということが大切だと思っています。私たちは近所のおじちゃんおばちゃん、おにいちゃんおねえちゃんみたいな存在で、今日も一緒に遊ぼうっていう気持ちをとても大事にしながら、子どもがお家で経験できないことをKukuruでは積極的に活動の中に入れています。

利根 ありがとうございました。それでは東さんと相馬先生お願いします。

 皆さん「ダブルケア」という言葉を聞いたことはありますか。最近ご存知の方も増えてきたのですが、まだちょっと社会的認知が足りないかなというところが課題です。相馬先生が最初に取り組まれたのが子育てをしながら介護をしている状況の調査だったわけですが、実はこのダブルケアの問題は日本だけの話ではなくて、相馬先生の先ほどの自己紹介にもあったとおり東アジア共通の新たな社会的リスクとして捉えられるということで、トヨタ財団のプロジェクトでは状況がだいぶ似ている日本と韓国の比較を行ってきました。韓国は日本以上に少子化が進んでいて、ダブルケアの問題について、今は日本の方が表面化されているかもしれませんが、いずれお互いの国で問題になっていくことであろうということでやってきました。

ダブルケアの研究のメンバーは相馬先生と英国ブリストル大学の山下順子先生のほか、韓国・香港・台湾の研究者なのですが、そこに日本の調査協力メンバーとして横浜市や横浜市内の団体が中心に関わり、私もその団体のひとつとして参加しました。日韓の学び合いのプロジェクトでは、横浜市内の子育て支援分野と高齢者支援分野に関わっている方々に参加していただき、有意義な学びの場となりました。

私たちが韓国の視察をさせてもらったときに特に印象に残ったのは、ケアをする人のケアを考えた取り組みです。日本はやはりケアされる人に焦点が当たりがちで、どうその人をケアするかばかりが考えられているのですが、子育てをしている人だったら、たとえば母親や父親、介護をしている人だったら介護者である家族、そういう方々をケアするという視点がなかなか日本の福祉分野には取り入れられてないのかなということを、すごく実感した学び合いとなりました。

この学び合いを通じて、私たちはもう少しダブルケアの啓発をしていかないといけない、日本で今後問題となりうるダブルケアに備えて、どのような政策が必要なのかということを発信していかなければならないと思い、法人を立ち上げてダブルケアサポートとして活動しています。

ダブルケアの支援に対して調査段階からいろいろな団体が関わったことで一研究者の調査にとどまらず、調査が進むと同時にさまざまな支援が立ち上がってきました。ここに今回のトヨタ財団からご支援いただいた部分の研究が入ってきますが、この調査が走りつつ当事者同士の共感の場作りを始めたりとか、こういう情報が足りないということで、ハンドブック作りが始まったりというような、いろいろな動きが生じてきました。

このような動きの中で、国会でもダブルケア問題が取り上げられ、行政単位で相談窓口が設置されたり、ダブルケア支援の人材育成が始まったり、特養や保育園の入所基準の見直しを図ることでダブルケアの人たちの負担を軽減しようという動きが出てきています。

たとえば京都府では2018年からダブルケア支援を支援者向けと当事者向けに分けて二つの柱で行っています。ダブルケアの支援というのはダブルケアをしている当事者の方々への支援も大事なのですが、その方々が救われるには当事者と接点を持ちうる支援者の人たちがまずダブルケアを理解していることが重要です。京都府では支援者向けとして市町村ダブルケア対応力向上研修を行っています。そして当事者向けにはダブルケア ピア・サポーター養成講座を実施しています。今年はコロナで研修や講座の開催は難しいかなと思っていたのですが、どちらもオンラインを活用して開催することになりました。このような行政の動きもありますが、私たちが横浜で始めた当事者の共感の場づくり「ダブルケアカフェ」が各地の当事者の力で広まりつつあります。

コロナ禍でダブルケア支援にどういう影響があったかということについてですが、介護施設、子育て支援の施設などダブルケアラーが頼りにしていた施設が利用できない、もしくは利用が制限され、利用しづらくなったという声が多くありました。

子育てをしている母親の視点で見ると、夫が在宅ワークに切り替わったことで面倒を見る人が増えたというような負担もあったり、働きながら子育てをして介護もしていた方が在宅ワークになると、一気に家の中のことを全部自分が請け負わないといけなくなったいという声がありました。それから、支援者側の話からは1回目の緊急事態宣言のときに相談が減ったという声がありました。こういうときはむしろ相談が増えるのかなと思ったら逆に減ったと。それはどうしてかというと、介護分野で言えばケアマネさんが訪問できなくなったことによってニーズが拾えなくなったとか、子育てでいうと支援者がいる場が閉所されてしまったのでなかなかお母さん、お父さんのほうからアクションを起こして連絡をしてくることまではしないということが起きているようで、そういう人たちの実態が見えづらくなったという声がありました。

また、支援者としてショックだったのがリアルに集まる場所や人との交流を大事にしているような福祉事業において、今回のコロナウイルスの感染拡大防止のためにそれが否定されたようなことがある。たとえば子育て支援施設は不要不急の外出先とされてしまったわけですよね。必要ないという位置づけになって、支援者としては自分たちのやってきた支援が否定されたような印象を受けて、苦しんだところかなと思います。そんななかZoomやインスタグラムのようなさまざまなツールを活用した支援が生まれてきたのですが、福祉関係で特に当事者と関わりを持つような仕事をしている人たちはリアルが基本なので、ネットツールに弱い人が多いです。なので、上手くやれるところとやれないところですごく格差が出たのかなというのが私が見聞きしたコロナ禍の影響です。相馬先生補足をお願いします。

相馬 2点感じたことをお話したいと思います。一つは、「ケアの不足は民主主義の不足なんだ」という議論があります。アメリカの政治学者であるジョアン・C・トロントによる議論ですが、このコロナ禍で、ケアに満ちた民主主義社会ってなんだろうというのをすごく考えさせられました。ケアが豊かな民主主義社会を構築していくことが大事なんだというトロントの議論を、コロナ禍で悶々としながら読み、翻訳しておりました。実際には、地域の子育て支援の場が一斉クローズになってしまったりしていて、ケアに満ちた民主主義社会には程遠い現実が目の前にあります。

もうひとつは、今日のデジリハさんやKukuruさんの活動というのは複合的なケア支援という意味ですごく共感するというか、同じことをめざしている部分が沢山あると思いながら聞いていました。ケアというのはすごく普遍的なテーマで、私たちも「磁石としてのダブルケア」というふうに、ケアをめぐる連帯について考えることを大事にしてきました。デジリハさんやKukuruさんも、ケアを通じて人々がつながることを大切にしていて、向かっている方向が同じだと感じました。

日本社会だと80年代、90年代はジェンダーや男女共同参画みたいなことがめざされてきて、90年代から2000年代になると若者支援や非正規、ワーキングプアが問題化してきました。貧困化、生活困窮化などの不安が満ちあふれる現在の社会の中で、ケアというのは私たちの日常の当事者性を極めて大きく喚起させるすごく大事なテーマだと思います。だからこそこのダブルケアもいろいろな方たちと水平的に関われましたし、クラウドファンディングでもたくさんのご支援をいただいたりしてきました。

「ケアに満ちた民主主義社会」には程遠い日本社会があるなかで、デジリハさんやKukuruさんの試み、私たちダブルケアの試みについて、ソーシャルセクターや草の根からどんどん当事者性というものを発信していって、日本の官僚や公的セクターにニーズをしっかり伝えて認知してもらい、必要なところは公共政策につなげてほしいなと思います。

デジリハ

変わったこと、変わらないこと

利根 デジリハとKukuruの活動ないし、皆さんのいろいろな考え方について何か質問はありますか。

相馬 障がい分野というのは日本の福祉制度を引っ張ってきた分野で、50年代60年代には「手をつなぐ親の会」や「全国重症心身障害児(者)を守る会」のような当事者の方たちの活動が起こりました。ここ何十年間の変化と変わらなさみたいなものを、お三方がどうお感じになっているかお聞きしたいです。

鈴木 支援の数は、ここ数年でものすごく大きく変わってきていると感じています。私が子育てをしていた時代はもう23年くらい前ですが、その当時はまだ子どもの訪問看護ステーションすらない時代でしたし、ましてやどこかに預ける通所先や通園なども全くありませんでした。私は仕事に行くときには自費でヘルパーさんを雇って家に来てもらって、その間に自分は仕事に行くというようなことをしていましたので、その時代から考えると今はなんて手厚くなったんでしょうと、すごく思います。

今のお母さんたちはそんな過去のことはわからないし、現状が当たり前みたいになってきているのですが、私が問題だなと思っているのはその中間層の人たちです。私たちのような預ける先がなかった時代から支援先が出始めた、あるいは出始める少し前くらいを経験している人たちが共依存に陥っているのをすごく感じています。

変わらないのは、親が見るのが当たり前だといまだに思っている医療職だと思います。お母さんが24時間365日ケアを行っている大変さについて、病院の理解が不足している。そこは今も全く変わってないと思います。

仲村 テクノロジーの進歩はとても大きな変化だと思います。デジリハは、まさにテクノロジーを活用したものになるのですが、パソコンやセンサーを使って、いろいろなことができるようになっています。それで重度の障がいを持つお子さんとコミュニケーションを取ろうとしている親御さんもいますし、今までは何もできないと思われていた子たちが、テクノロジーの進歩によって言葉を持って社会と関われるようになっているので、そこは変わってきているところかなと思います。

一方でそれを使いこなせない大人たちがいるのは少し問題かなと感じています。意識が変わっていないんですよね。このリハビリは自分がしてあげることみたいに思っている人が、まだ多いのではないかと思います。学校の先生なども含めて、発展していくテクノロジーを十分に活用しきれないがゆえに、結局子どもが恩恵にあずかれていないという状況はまだまだあるのかなと思います。

加藤 変わっていないところという点でいうと、親側のマインドは全く変わってないかなと思います。それは自分で自分の子どもを見なければいけないという、十字架を背負ってしまっている感じというのは、やはりずっと変わらずにあります。親の側として何をしてほしいかという明確な提示を支援者に対してできない状態が続いてしまうと、支援者もどう手を差しのべていいかわからないし、制度を作る側もどう制度を変えていったらいいか判断ができない。ニーズと合ったものを作るためには、その当事者である親側のマインドセットがすごく大事だというのは私自身も日々感じています。

利根 デジリハのお二方から他のお三方に聞きたいことはありますか。

仲村 さきほど少しお話がありましたが、日本において家族のケアと子どもに対するケアというのがすごく近いというか、絡み合っているというところは我々もすごく感じています。子どもにとって良い環境、楽しい環境を提供できること自体が、家族に対してのケアにもなるのではないかと考えて、いまは子どもに対して一生懸命アプローチをしているところなのですが、皆さんが取り組まれているなかで、お子さんがお子さんらしくいられるための工夫や、こういうエピソードがあったよ、みたいなことがあればぜひお聞きしたいです。

 私たちの団体では主に母親を支援しているのですが、母が元気だから子も元気という考え方で支援をしています。以前は子どもの育て方がわからないというような質問が多かったのですが、ここ数年は子どもを愛せないとか受け入れられないという相談が多いです。そういう母親であり父親である大人をまず支援して、大人が元気になることでその幸せが子どもに還ってくるという視点で支援をしています。

ダブルケアについてもそうですが、結局母親、女性が介護も子育てもやるべきだというような規範がまだまだあって、一番負担を背負っているのは母親です。その母親がイライラすることで子どもにあたってしまったり、要介護者のことをきつく叱ってしまい、それを後悔して自分を責めてしまうという姿をたくさん見てきました。またやってしまった……と、ぐるぐるループしてしまうようなところが見えています。

子どものケアをしている、要介護者のケアをしている、そのケアをしている核となっている人がある程度元気でないとケアはまわっていかないなというのをすごく感じています。ちょっと回答がずれているかもしれませんが、そういう意味で、ケアをしている主体となっている人たちのケアがすごく大事だと思ってやっています。

鈴木 今おっしゃったことと似ているのですが、子ども主体と考えるとちょっと危ういシーンが意外と多く出てきてしまうかなと思っています。

虐待の問題では子どもを守るために社会がいろいろなことをすると思うのですが、そうしたときになぜ親が虐待してしまったのかという根本の解決を探ることがないなかで、子どもの支援を中心に見ると危うくなることを私も多々経験していますので、親の支援を充実させることがイコール子どもの支援につながると思っています。たとえば重い障がいがある子どもと公園に行っても遊び方が分からないという親御さんが私たちのところに来たときに、滑り台での遊び方を見せることで、そういうこともできるんだっていうふうに気づいてもらうとか、なにかそういう気づきを見つけてほしいなというのをすごく意識して活動につなげています。

Kukuru

ずっと支えあえるつながり

利根 鈴木さんから二団体にご質問はありますか。

鈴木 質問というより感想になりますが、今日はすごくいいお話を聞けたなと思っています。デジリハさんの活動については、リハビリの場所にはプロがいて、指導をしっかり受けつつもお家ではゲーム感覚で自発的にリハビリができる、そういう共存ってすごく素敵ですよね。どんどん広がればいいな、うちでも取り入れたいなと強く思いました。

ダブルケアの皆さんのお話は共感するところも多く、私たちもコロナ禍で預かりサービスが閉鎖されたときに親が頑張れといわれているような気がしていました。でも途中から学校は休校するけど学童や通所はやりなさいみたいな、福祉サービスは継続してほしいという通達がまわってきて、政府が言っていることのつじつまが全く合わなくて、訳がわからなかったことも思い出しました。

私もダブルケアで親の介護をしながら障がい児の子育てをしている中で、同じ段階で命の選択をしなければいけない場面が何回もありました。そういう経験からも、こんなに素晴らしい活動をしていることがもっともっと広がって、本当に必要な人に届いたらいいなと痛感しました。

仲村 全体の感想ですが、三団体それぞれ家族、子ども、保護者というような共通点はありましたが、アプローチは皆さんバラバラだと思うんですよね。ですが、やはり課題になってくるところや大事にしないといけないところに関しては、そうだよねと思いながら聞いていたので、他分野ではありつつも、お互いの知見をシェアしていけると、新たなアプローチの仕方などに気づくきっかけになると思いました。

加藤 皆さんの活動が素晴らしいので、周りのありったけのコミュニティ全部に広げたいと思います。団体が横につながるのって何がいいかというと、届けたい人たちが実はメンバーだったりするので、まずはKukuruさんやダブルケアのことをメンバーに届けたいです。ぜひそういう連携をとって、必要な情報を必要としている人に届けられたらいいなと思います。

相馬 こうやって話すことってやはりすごく大切なことだなと思いました。デジタルによってこうして遠い沖縄のKukuruさんともつながれますし、同じところをめざしている、理念が同じ方々とゆるくつながりながら進んでいきたいですね。あとは人間らしい生き方ができる社会を子どもたちに残したいです。

利根 では最後に私からも。ダブルケアのような多重的なケアの状況になるというのは、人が生きるステージの中で当然どこかで出てくると思うんですよね。ケアを非常に幅広く捉えると切り口がどんどん違ってくるというのは、もしかしたら専門職化の弊害みたいなところがあるのかもしれません。行政も、部分部分でここを最適化していこう、あっちを最適化していこうと、どんどん細かく決めていくのは、どうしても避けられない部分があると思うのですが、たどっていくと実はみんな同じ人をケアしていたみたいな形になったりすることはあるのかなと思います。

特にダブルケアでは行政との協働や働きかけというようなことも重要ですし、「ダブルケア」という名前をつけてキャッチーに認識を広めていくということも重要ですし、現場での積み重ねというのももちろん重要です。制度を作る側の人たちも人間で、官僚や議員の方々にもダブルケアをしている方はいらっしゃるでしょうから、個人的な共感や地域別な活動などをベースにいろいろなところでほとんど散発的に制度も作り、現場の積み重ねもしていき、総合的にやっていくということも重要かなと考えています。

今日のお話を発信することで次の展開が生まれるかもしれません。1年程度の短いスパンで何か起こるということだけではなく、5年、10年経ってもこのつながりが何かの役に立つことを期待しております。今日は長い時間本当にありがとうございました。

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.36掲載(加筆web版)
発行日:2021年4月21日

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